人生の幅が広がった「ギャラリー古藤」との出会い(永田浩三)

<6月23日放送 : あるくラジオ第25回「自由な表現空間〜「ギャラリー古藤」の試み」>

 武蔵大学の正門前にあるギャラリー古藤は、わたしの命の恩人とも言ってよい場所です。オーナーの大崎文子さん(写真右)と田島和夫さん(左)の明るい声がラジオから聴こえてきました。

 番組の冒頭、わたしとご夫妻との出会いが語られます。江古田駅前で昼食を済まし大学に戻る途中、新しくできた古美術のお店を偶然のぞいてみました。それが最初の出会いです。店の奥には立派な上映スペースが用意されていました。大崎さんは出版社、田島さんは練馬区役所を退職したばかり。これからいろんなことをやってみたいと夢を語られました。

 映画「ひろしま」をここで上映したい。相談を受けました。わたしの母は広島の爆心から800㍍のところで原爆に遭い生き残りました。わたしはこれまでビキニ事件についての番組はさまざまつくったことはありましたが、ヒロシマ・ナガサキについては距離を置いてきました。しかし映画のお手伝いをするなかで、被爆二世であることの自覚が深まり、結果として核兵器にまつわる本を2冊も世に出すことになりました。ご夫妻との出会いがなければ、今のような自己開示はなかったと思います。

 お世話になったことはあまりにたくさんあります。なかでも中国に残された日本軍「慰安婦」を記録した安世鴻さんの写真展や、表現の不自由展、ガタロ展、四國五郎・ガタロ師弟展のことは忘れられません。安さんの写真展や表現の不自由展には右翼の激しい攻撃がありました。おふたりが地域の人たちの応援を受けて攻撃をものともしなかったことをユーモアを交えて語られました。平和の少女像を持ってソウルから羽田空港に到着した彫刻家のキムウンソン・キムソギョン夫妻を出迎えたのは田島さんでした。展示された少女像がいかに素晴らしいか、愛情あふれるお話に胸が熱くなりました。

 ギャラリー古藤と武蔵大学を舞台にした江古田映画祭。実行委員みんなの持ち味を生かし、映画への愛、福島に寄せる思いをいっぱいに込めた手作りの映画祭は、早いもので12回を数えます。うちのゼミ生たちの映像作品を観ていただくことも定着しました。ラジオで映画祭の運営がうまくいっている秘密が紹介されました。

 最近のヒット企画は、独立プロ時代の今井正監督の映画の連続上映会。ギャラリー古藤は連日満員でした。わたしも「にごりえ」や「山びこ学校」の解説をさせていただきました。大学では扱ったことがないテーマに挑戦でき、人生の幅が広がった気がします。

 面白いイベントが次々に生まれ、地域のひとたちが結集する。それができるのはひとえに大﨑さん・田島さんの人徳によります。大崎さんが大事に思うのは憲法9条。「過ぎたるは及ばざるがごとし」は、田島さんの座右の銘です。どうか末永くお元気で。この番組を実現してくださった松原明さんやパーソナリティの志真秀弘さん、佐々木有美さんにお礼申し上げます。

大勢の市民が「ギャラリー古藤」を守ってきた・・根津公子さんの感想

大崎さん、田島さんご夫妻の退職金と貯金にマンションを売っての資金では足りずに4000万円の借金を抱えて開いた古藤。江古田映画祭のチラシはいろいろな通信等で見聞きし、私も何度か観ましたが、上映会は市民が年会費3000円を出して実行委員会に入り、お勧めの映画を出し合い決めていくといいます。「誰もの意見が尊重される実行委員会」と実行委員のお一人の感想メモ。また、ギャラリーに来られていた野村さんは「映画が大好き。古藤が近くにあってすごくうれしい」。田島さんは、「永田浩三さんがリーダーシップを発揮してくれて」と言われましたが、それだけでなく、お二人の人柄がまずあって、のことです。

 2015年に「平和の少女像」を展示して「表現の不自由展」を開いた際には、4~50人の右翼に襲撃された。それに対して、大勢の市民がシーツを集め古藤を覆い隠し守ってくれたといいます。お二人と集まった市民が、文化と芸術に触れあう機会を提供してくれていることを実感し、その機会を維持していくためには広めなくてはと思いました。お二人の思い入れが今回のお話から伝わってきて、私も頻繁に行きたいと思いました。