都立第五福竜丸展示館が創立50年特別展


志真斗美恵 第24回(2026.6.22)・毎月第4月曜掲載> 

 1976年6月10日に開館した都立第五福竜丸展示館が、創立50年を迎えた。その特別展を開催している。

 第五福竜丸は、1947年和歌山県で、建造された木造船である。当初はカツオ漁船として活躍していたが、マグロ漁船に改造され遠洋漁業にでていた。1954年3月1日、太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁で、アメリカの水爆実験によって被曝した。2年後の1956年改造され練習船「はやぶさ丸」となり東京水産大学で使われたが、1967年に廃船となり、ゴミ捨て場であった夢の島に捨てられ放置されていた。それを知った人びとが船を保存しようと「みんなの船 第五福竜丸」と声をあげた結果、東京都によって、1976年に展示館が建てられた。美濃部亮吉の都知事時代だった。

 開館50年特別展として、①黒田征太郎が描いたビキニ事件、②小中学生による「みんなの船、第五福竜丸」が開かれるが、②は、A4サイズの絵の公募で、夏休み期間中の展示となる。

 1931年生まれの黒田征太郎は、大阪空襲で焼け出された。野坂昭如との共同作業『戦争童話集』で有名だ。彼が第五福竜丸展示館をはじめて訪れたのは1996年の開館20年企画「第五福竜丸のベン・シャーン展」だった。心を動かされて、その場で制作、それをもとにフクリュウマルにまつわる物語を描いた。

 今回は、第五福竜丸の船体の前に、ポスター7枚と多数の小品(複製)が置かれている。絵はすべて黒田征太郎。2004年ビキニ水爆実験被災50年展、10年後のビキニ水爆実験60年特別企画・黒田征太郎「フクリュウマル」展、2005年PIKADON展(写真)、2008年「第五福竜丸保存のよびかけ40年記念」の原爆ドームと第五福竜丸のポスターが展示されている。2009年『黒田征太郎展」ポスター(写真)には、「核なき地球へのメッセージ」と文字がみられる。2008年にスケッチブックに描いた作品は、破りとって宛名がかかれ投函されたという。

 会場には、昨年、ここで「ふたつの太陽」展を開いた山内若菜の「金屏風シリーズ第五福竜丸」(2024)や上野誠「焼津港に係留された第五福竜丸」(1954)、男鹿和夫「森の第五福竜丸』(2017)なども展示されている。上野誠は広島・長崎の原爆を描いた版画家だが、被曝のその年に第五福竜丸を描いていた。   

 見あげると「第五福竜丸は生きている 新藤兼人」と書かれた垂れ幕が下がってる。新藤兼人は1959年に劇映画『第五福竜丸』を作っている。外には、被曝した年に亡くなった乗組員・久保山愛吉さんの言葉「原水爆の被害者は/わたしを最後に/してほしい」と刻まれた碑がある。

 ぜひ展示館をみてほしい。「第五福竜丸は原水爆のない未来へと航海を続けます」
 (特別展は9月30日まで・月曜休館・入場無料)