
●生誕130年・1930年協会設立100年「前田寛治 ポエジイとレアリスム」展
●国立西洋美術館「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」展
<志真斗美恵 第26回(2026.8.24)・毎月第4月曜掲載>

●「前田寛治 ポエジイとレアリスム」展
東京ステーションギャラリーで開かれている前田寛治(1896-1930)の作品展示は18.年ぶりの大回顧展とポスターにも書いてある。私はかねてから前田寛治の作品をまとめて見たいと思っていた。
田辺市立美術館開館20周年特別展「昭和の洋画を切り拓いた若き情熱 1930年協会から独立へ」展を見たのは2016年のことだった。その時は、前田寛治だけでなく、1930年協会を結成したパリ帰りの青年画家――佐伯祐三・里見勝蔵・木下孝則・小島善太郎――の作品とならび数点の展示だった。その時の「メーデー」(1924)を、今回見ることができた。前田はこの作品をパリで描いた。同郷のマルクス主義者・福本和夫とパリで親交を結んだことが影響しているようだ。この絵には、労働者のエネルギーが湧き出ている力強さがある。1924には、「物を喰う男」をはじめ、フランスの労働者を何枚も描いている。今回の展示で、前田が、ゴッホの弟テオの墓と並んでいる「ゴッホの墓」(1923)を描いていることを知った。10年前に前田の「メーデー」を見たとき、私は、ゴッホの点描を思い出した。今回は、ゴッホの模写まで出ていて、彼がゴッホに心酔していたことを知った。
1925年に帰国した前田は、翌年に1930年協会を結成、その中心になった。日本における新しい油彩画の創造をめざしたが、再渡航した佐伯祐三が28年にパリで客死、30年に、前年にできた腫瘍がもとで前田が亡くなると、1930年に協会は解散する。
1928年に描いた「棟梁の家族」、そして息子をモデルにした亡くなる年の「子どもの顔(棟一郎)」は、前田寛治の方向性を感じさせる作品であった。
「海」と題した犬吠埼の荒海を描いた29年から30年の作品群は、前途にひろがる困難な時代を予感させる。

●「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」展
昨秋、アムステルダム国立美術館で修復中のレンブラント(1606-1669)の「夜警」を見た。翌日、レンブラント・ハウス美術館をおとずれたが版画はでていなかった。(ここは、レンブラントが17世紀に弟子たちと共に生活していた家で興味深かった。)今回の展示では17世紀のレンブラントの作の大量の版画(エッチング=腐食銅版画)と並んで、彼の影響を受けた16世紀から20世紀のマティスやピカソ、ジャコメッティに至るまでの作品が展示されている。レンブラントは、その初期から版画に興味を抱き、手法を進展させた。
レンブラントは、版画で、宗教的主題のみならず、自画像、風景画、さらに庶民を描いた。17世紀のオランダで、風俗画が興隆し、居酒や娼館の情景までもが人気を博していた。だが、1600年代前半に、旅回りの楽師や行商人、貧窮女性、農夫、老人たちを描くことが収入につながることはなかっただろう。風景画にも、そうした人々が描かれている。今回の展示で「社会的周縁者と庶民たち」とタイトルがついているコーナーが設けられていて、「その解釈が議論となっている」と解説文が結ばれていた。彼は偏見なく、庶民を描いていて私は好感をもった。
(前田寛治展は、東京ステーションギャラリーで8月30日まで、版画家レンブラント展は、国立西洋美術館で9月23日まで開催)

