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ガマフヤーとして生きる! 具志堅隆松さん
遺骨は沖縄戦の証言者
遺骨収集をはじめたころ、「なぜ遺骨を掘っているのか」という質問を何度も受けました。
ぼくは弱者に手を差し伸べることに理由が必要なのだろうかと反発にも似た思いを抱きつつも、その質問にうまく答えることができず、ジャングルの奥に埋もれたガマの中で人目を避けるようにひとり、遺骨を掘り出してきました。
2008年6月、那覇市の真嘉比地区で行われた遺骨収集活動が大きな転機となりました。
真嘉比の遺骨収集を実現させるため、ぼくは県や行政と向き合い、いろいろな不条理を目の当たりにしました。
目の前に立ちはだかる行政という「壁」に個人が対峙することの限界を毎回感じながら、そのたびに、「土に埋もれたまま声すら上げることのできない戦没者のためだ。
だれもやらないなら、恥をかいてでもいい、現場を知っているぼくがやろう」
(『ぽくが遺骨を掘る「ガマフヤー」になったわけ』より)
ヤマトに翻弄させられた奄美・沖縄、島唄から歴史を探る!牧志徳さん
生まれは加計呂麻島で、2歳の時、軍作業へ出稼ぎする両親に伴われ嘉手納へ。
少年期を基地の街の喧騒と混乱のなかに過ごすことに。
やがて両親は居酒屋を開業o基地からやって来る米兵が主な客だったが、なかには食い逃げも。
ある日、逃げる米兵を追った父親は、その4、5人と乱闘に。
ティ(空手)の腕っぷしで、巨漢の米兵を次々と川へ投げ込んだ。
その枯川には割れたガラス壜が散乱、重傷を負わせる結果に。
米軍から、沖縄からの即時退去を命じられ、やむなく大阪・高見の縁者を頼って嘉手納を離れることに。
牧志徳が16歳の再出発だった。‥‥
(『南島ボートピープル』原井一郎著より)
「発言撤回しないなら、高市首相は沖縄に来ないで」具志堅隆松さんが「慰霊の日」を前に国会で訴え(2026.6.16)
太平洋戦争末期の沖縄戦の犠牲者を悼む23日の「慰霊の日」を控え、遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんや遺族らが16日、国会内で政府交渉を行った。
「沖縄を二度と戦場にしない」という平和の思いから、高市早苗首相の台湾有事発言の撤回などを求めた。
「このような要請をするのは、戦没者に対する最大の慰霊が二度と戦争を起こさないことだと思っているからだ」
具志堅さんは内閣官房と防衛省、警察庁の各担当者に要請文を手渡す際、厳しい表情で訴えた。
(東京新聞より)
「琉球人お断り」は消えたけど…差別や罵声「三線」で丸く収める奄美生まれ沖縄育ちの復帰46年
東京の政治団体が、新基地反対運動を批判してテントに乗り込んできた。
14日、名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前。
「リーダーはどこ」と問われた牧志徳(まき・しとく)さん=大阪市=は三線を弾く手を休め、「わんね-リーダーやあいびらん」。戸惑う相手にしまくとうばで穏やかに語り掛け、丸く収めた。
「言葉は沖縄の誇り」。
ただ、そう言えるようになるまでには、苦労もあった。
(2018年5月15日の沖縄タイムスの記事より)
琉球(沖縄・奄美)から今を問う!奈良の集い
日 時:2026年11月15日(日)13時30分~
場 所:奈良県人権センター 大研修室
〒630-8133 奈良市大安寺1-23-1
JR奈良駅から奈良交通バス東口7番のりば
「白土町、シャープ前、イオンモール大和郡山、杏南町、杏中町」行き
(乗車時間 約6分)→「大安寺バス停」徒歩3分
近鉄奈良駅から奈良交通バス西向き12番のりば
「白土町、シャープ前、イオンモール大和郡山、杏南町、杏中町」行き
(乗車時間 約10分)→「大安寺バス停」徒歩3分
アクセス→https://x.gd/eGF1G
地図→https://x.gd/jukF6
※エレベーターを利用される方は「同和問題関係資料センター」の入り口からお入りください。
プログラム:
13時30分~ あいさつ
13時40分~ 牧志徳さんのお話と三線
14時40分~ 休憩
14時50分~ 具志堅隆松さんのお話
16時10分~ 質疑応答
16時30分~ あいさつ
参加費:800円 学生無料
主 催:
奈良-沖縄連帯委員会
沖縄の高江・辺野古につながる奈良の会
映画「戦雲」上映奈良県実行委員会
連絡先:tsunagaru.nara@gmail.com(崎浜・玉浦)

