<2026年10月11日>

 初回はどうしようかな。「第56回那覇大綱挽まつり」の写真を投稿するのもいいな。ぼんやりと考えていたところでした。2026年10月3日、那覇市で強盗殺人事件が発生し、4日に米海兵隊上等兵が緊急逮捕されたので、第1回を急ぎ送稿しました。編集部からの「最初の回は、ご自身のプロフィールと『発信の思い』などを」にも応じられませんでした。

 私は1971年に沖縄で生まれ、「昔はさとうきび畑しかなく今もさとうきび畑しかない」ところで育ちました。1992年に「内地」に出て、1997年から新聞記者です。2026年春に帰郷し取材拠点も沖縄に移しました。

 編集部による紹介「那覇在住」は少し訂正しておきます。職場と、これとは別に個人的に借りている仕事部屋とは那覇市にありますが、「さとうきび畑しかない」ところの住民ですから、「沖縄在住」のほうが正確でしょう。

 強盗殺人事件後、「内地」の友人知人から連絡がいくつか来ました。こうした事件が沖縄で起きることに怒りをおぼえる。米軍基地を押しつけている「内地」の責任だ。沖縄の怒りを共有したい――そのような内容でした。私はどう答えればいいのかと迷ってことばを濁しました。理由を書きます。

■古謝知事の初動

 発生翌日の10月4日、古謝玄太知事は「米海兵隊員による強盗殺人事件について」を発表しました。記録のために全文を載せます。

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 1 令和8年10月3日に発生した那覇市内のホテルで女性が死亡した事案について、本日未明、米軍普天間飛行場所属の海兵隊上等兵の男(20)が強盗殺人容疑で緊急逮捕されたとの報道がありました。

 2 まず、お亡くなりになられた被害者のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族に対し、心から哀悼の意を表します。

 3 今回の事件は、殺人事件でかつ他人の財産を奪うという極めて悪質なものであり、基地と隣り合わせの生活を余儀なくされている県民に大きな衝撃を与え、新たな不安を招くものであり、断じて許せるものではなく、非常に憤りを感じます。

 4 県としては、これまで事件が起こるたびに米軍に対し再発防止を求めているものの、このような事件が再び起きたことは、米軍の綱紀粛正、隊員教育等が全く機能していないと言わざるを得ません。

 5 米軍においては、捜査への全面的な協力、米軍人等の綱紀粛正及び再発防止の実施を強く求めます。

 6 沖縄県としては、このような悲惨な事件が二度と起きないよう、米軍及び日米両政府に対し強く抗議するなど厳正に対処してまいります。

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 古謝知事はコメント発表で済ませるつもりだったらしいのですが、その後に報道陣の取材に応じました。私はその場にいませんでしたから、記者とのやりとりの中で古謝知事が「笑った」こと、それへの批判があることはあとで知りました。

 「笑った」ことを批判しようとは思いません。「笑った」の前後関係が分からないし、知事に就いたばかりで慣れない対応を迫られたからだろうと想像するからでもあります。

 強盗殺人事件と古謝知事の「辺野古容認」姿勢とを結びつける言説も耳にしましたが、「いまのところ」私はこの見方にも賛成していません。

 ことし3月、名護市の辺野古沖で船が転覆し、修学旅行中の高校生と船長が亡くなりました。以降、この転覆事故と、当時の玉城デニー知事の政治姿勢とを直結させる言説があふれました。玉城氏を貶めればそれでよいというものが多く、禍々しさに吐き気をおぼえました。だからこそ強盗殺人事件と古謝氏の政治姿勢とを安易に直結させることはしたくありません。

 「いまのところ」と条件をつけたのは、ことし9月の知事選を振りかえってのことです。古謝氏が当選し玉城氏が落選した知事選のさなかも、玉城氏への憎悪を煽る言説があふれていました。古謝氏は投開票日に当選を確実としたあと、「SNS等で虚偽情報・デマ、AIでつくった間違った画像が出回っていることについては深く危惧をしている」「虚偽情報やデマによって間違った情報を発信することは、民主主義を蔑ろにするもの」と話しました。

 これでは一般論を述べたにすぎません。私の知るかぎり、玉城氏への誹謗中傷・憎悪扇動を古謝氏が具体的に諫めたことはありません。黙認しているのでしょうか。このままでは、強盗殺人事件と古謝氏の政治姿勢とを直結させられても仕方がないとなりませんか。

 また、古謝知事の米軍基地に対する今後の言動によっては、悔しいけれどもまた起こるであろう事件事故の責任を問うこともあるでしょう。

 そんなことを考えての「いまのところ」です。

 ■日本政府への抗議文
抗議文を受けとる村井勝・沖縄防衛局長=2026年10月5日、沖縄県庁
抗議文を受けとる紀谷昌彦・外務省特命全権大使(沖縄担当)=2026年10月5日、沖縄 県庁

 古謝知事と知念覚・那覇市長は10月5日、日米両政府の担当者を県庁に呼んで抗議しました。

 紀谷昌彦・外務省特命全権大使(沖縄担当)と、村井勝・沖縄防衛局長とへの抗議は午後1時半からでした。

 まず古謝知事は、紀谷氏にむかって「那覇市における米海兵隊員による強盗殺人事件について(抗議)」を読みあげました。記録のために全文を掲載します。

沖縄県知事と那覇市長が連名で出した「那覇市における米海兵隊員による強盗殺人事件 について(抗議)」

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 令和8年10月4日、米軍普天間飛行場所属の海兵隊上等兵の男性が強盗殺人容疑で緊急逮捕されました。

 今回の事件は、殺人事件でかつ他人の財産を奪うという、極めて悪質で、県民、市民に大きな不安を与える事件であり、断じて許せるものではなく、強く抗議します。

 県及び那覇市はこれまで米軍人・軍属等による事件・事故が発生する度に、綱紀粛正、再発防止策及び教育の徹底等を米軍等に何度も繰り返し強く申し入れてきました。

 平成28年及び平成31年にも女性が殺害される事件が発生している中でこのような事件が起き、県民の尊い命が失われたことは、大変遺憾であり、激しい怒りを覚えます。

 県及び那覇市としては、これまで、事件が起こるたびに米軍に対し再発防止を求めているものの、このような事件が再び起きたことは、米軍の綱紀粛正、人権教育が全く機能していないと言わざるを得ません。

 このため、米軍による捜査への全面的な協力、米軍人等の綱紀粛正及び再発防止の実施を強く求めます。また、このような悲惨な事件が二度と起きないよう、米軍及び日米両政府の責任において、日米地位協定の見直しを含め、実効性のある抜本的な対策を講ずるよう強く求めます。

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 つぎに古謝知事は、村井氏にむかって抗議しました。これも「記録のために全文を掲載」しようと考えましたが、文面は紀谷氏へのものと同一ですからやめます。古謝知事も「文章については同文でございます」と話して村井氏に抗議文を手わたしただけでした。

 ■米国政府への抗議文

 1時間後の午後2時半からは、ベンジャミン・T・ワトソン在日米軍沖縄地域調整官と、アンドリュー・オウ在沖米国総領事を県庁に呼びだしての抗議でした。

ベンジャミン・T・ワトソン在日米軍沖縄地域調整官(右)とアンドリュー・オウ在沖 米国総領事=2026年10月5日、沖縄県庁

 最初に古謝知事が「那覇市における米海兵隊員による強盗殺人事件について(抗議)」を読みあげてワトソン氏に手わたしました。これも紀谷氏・村井氏へのものと同じ文面でしたから「記録のために全文を掲載」は不要でしょう。

 次に古謝知事はオウ氏に抗議しました。これもまた紀谷氏・村井氏・ワトソン氏へのものと同じ文面でした。

 要するに、紀谷氏・村井氏・ワトソン氏・オウ氏への抗議文は、一字一句たがわない同一文面だったということです。ちがうのは宛て名だけでした。

 古謝知事が抗議文を読みあげたあと、知念市長も発言しました。その内容もまた、日本側に対するものと米国側に対するものとでほとんど同じでした。

 日本側への

 「国におかれましては、綱紀粛正や隊員教育の中身、また管理者責任のあり方についてしっかり把握し、実行性のある再発防止策を日米両政府の責任において講じていただけると考えております」

 だったところが、米国側へのでは

 「米軍におかれましては、綱紀粛正や隊員教育を改めて見直し、実効性のある再発防止策を講じていただくとともに、その内容を市民県民に公表していただきたいと考えております」

 となっていたぐらいです。

 古謝知事も抗議文を読みあげたあとで改めて発言しましたが、これも日本側への

 「紀谷特命全権大使および村井沖縄防衛局長におかれては」

 が、米側へのでは

 「ワトソン沖縄地域調整官およびオウ総領事におかれては」

 となっているぐらいで残りは同じでした。

 ■わずかにあった「乱れ」

 抗議文を受けとった紀谷氏と村井氏とはどう答えたか。

 紀谷氏が読みあげた文章は、

 「強い憤りを覚えます」→「外務省は、綱紀粛正および事件の再発防止策の徹底を求めた」→「私からも強く抗議した」→「そもそも米軍関係者による事件事故はあってはならない」→「綱紀粛正と事件の再発防止の徹底を引き続き強く求めていく」

 という構成でした。

 村井氏が読みあげた文章は、

 「強い憤りを覚えます」→「防衛大臣は、徹底した綱紀粛正と再発防止策を講じるよう強く申し入れた」→「私からも強い抗議を行った」→「米軍による事件事故はそもそもあってはならない」→「隊員教育、綱紀粛正および再発防止策の徹底ならびにご遺族に対する迅速かつ適切な対応を求めていく」

 という構成でした。

 論文試験の答案だったならば盗用や写し貼り(コピペ)を疑われたでしょう。

 米国政府側はどうだったか。

 まずワトソン氏。古謝知事に語った内容と、会合が終わって「個人的に県民に伝えたいことがある」からと報道陣に語った内容とは、いずれも「沖縄は私にとっても故郷である」→「地域社会に懸念と不安を与えた」→「捜査に協力していく」→「責任ある隣人として信頼に応えらえるよう努めていく」という構成でほぼ同じでした。ワトソン氏は記者の質問を受けませんでした。

 会合のよどみのない流れを止めたのはオウ氏でした。オウ氏は「米国政府在沖米国総領事館の総領事、そして職員を代表して、ご遺族のみなさま、そして沖縄県民のみなさまに心から哀悼の意を表します」と言いました。それだけでした。オウ氏の発言後、沈黙の瞬間が訪れました。進行役の司会者は、オウ氏の次の言葉を待ち、え、これだけですかととまどい、どうやら次はないようだと気づいてあわてて進行を再開させたのだろうと私は見ています。

 ■「激しい怒り」はホンモノか

 人間が殺されたのです。これ以上はない事態についてのやりとりが、事務方が用意した文章を読みあげるだけだとはどういうことか。アチラの発言を受けてのコチラの発言も用意されていた。これは何かの「式典」ですか。

 事件翌日の10月4日夜、県庁前で「緊急女性集会」がありました。前回に書いたとおり、「私たち県民は悔しくて悲しい思いを何回しなければいけないのか」「次は私かもしれない。私の娘、私のめいっ子かもしれない」といった訴えがありました。

 私の知人に米兵による事件の被害者がいます。あらためて連絡を取りました。その人は「自分を殺すことでかろうじて生きている」と言いました。被害に遭ったことは誰にも言っていない。黙っていれば事件はなかったことにできる。でも事件はあった。自分は偽りの人生を生きている。そういう絶望のことばです。

 「緊急女性集会」に駆けつけた人の中には、涙を手でぬぐい、それでもあふれてくる涙を手でぬぐいを繰りかえしている人がいました。なにも訴えずに立っているだけでした。その雄弁な圧倒的姿に、私は声をかけられませんでした。

 「緊急女性集会」の翌日に取材したのが県庁での抗議「式典」です。抗議文には「激しい怒り」とあった。古謝知事も「激しい怒り」を読みあげた。知事の声は怒気をはらんでいた。しかし私の貧しい観察力では、「台本」を読みあげるだけの「式典」会議室に、「式典」参列者に「激しい怒り」を見つけることはできませんでした。

 「政治・行政は市民運動とちがう」という言説を沖縄でも耳にしました。市民運動なんて好き勝手に言うだけで無責任だ。われわれは責任を負っている。感情にまかせて「すべての米軍基地を即座に撤去しろ」なんてことを口にしてしまったら混乱して政治・外交問題になる。責任ある行政として文書を用意するのは当然だ――そんな意味らしい。

 その「混乱」は社会にとっては有益なものの始まりかもしれませんよと問うのはやめて、政治・行政の担い手の矜持のあらわれだと理解することにします。そう譲ってみても、人間が殺されたことへの「激しい怒り」を、役人作文を読みあげることでしか表現できない政治・行政のなんと貧しくて不自由なことかと思うのです。人間性を削ぎ落とした政治・行政の言葉は、涙をぬぐうしかない人に届くのかと思うのです。

 ■玉城県政はどうだったのか

 「内地」暮らしのころ、報道で知る我がふるさと沖縄の県庁に異常と正常とを感じていました。

 「異常」とは、米軍基地をめぐって日本政府にたびたび抗議していたからです。こんな自治体が国内にどれだけありますか。これでは体力を削られて他の業務にさしさわりがあるはずだ。そう考えての「異常」でした。

 「正常」とは、これこそ地方自治の姿だと思ったからです。政府は侵略戦争さえも合法的に遂行できる力を持っている。政治家・官僚・経済人らとちがって、住民は「殺す」ことを命じられ「殺される」ことも受けいれるしかない身分です。自治体が住民の側に立つならば、ときには日本政府との衝突も避けられないでしょう。「パイプ」だの「協調」だの「予算」だのといってモノひとつ言わない自治体とくらべて、沖縄県庁はしっかりしているなと私は誇らしさも感じていました。

 その抗議の場面を取材できるのは新聞記者・ジャーナリスト冥利に尽きるではありませんか。今春の帰郷後すぐに、米軍パラシュート降下訓練についての副知事による日本政府への抗議がありました。このときも県庁に呼びだされたのは紀谷氏と村井氏でした。

 がっかりした。「事務方が用意した文章を読みあげるだけ」「アチラの発言を受けてのコチラの発言も用意されていた」からです。その後も県庁による抗議や申し入れを取材しましたが、いまではほとんど取材の意欲を失っています。

 私の玉城県政取材は半年あまりだけでした。玉城氏の定例記者会見もほとんど出ませんでした。この短い取材経験からの判断ですが、玉城県政の抗議のありようは、強盗殺人事件をうけての古謝県政のそれと変わるところがありませんでした。

 知事・県庁だけが沖縄を代表しているわけではないでしょう。公務員に公共を独占させてはならないし、公正・公平の判断を牛耳らせるとロクでもないことにしかなりません。それでも古謝知事の「146万県民の代表として」を受けいれると、「沖縄はほんとうに激しく怒っているのか」と疑わざるをえないのです。

 「内地」の友人知人の「沖縄の怒り」に対して、「そうですねえ」とあいまいに応じたのはこうした理由からでした。

 ■よろしくおねがいします

 34年ぶりの沖縄の夏は、アパートの床をめくりあげる湿気だけでもなんとかならんのかと閉口しましたが、ようやく数日まえの朝、帰郷後はじめて肌寒さをかすかに感じました。秋を知らせるミーニシ(新北風)でしょうか。

 いま午前2時18分です。瓶詰めしてから40年はたつ泡盛の古酒を舐めながら書いています。この泡盛は、30年まえに58歳で年齢を凍結させた父親が生前に購入していたもので、「さとうきび畑しかない」ところの家の押し入れから見つけました。父親と政治の話をしたことはありませんでしたが、「保守」よりの人だったと思います。

 34年前、私が「内地」に出ていくとき、父親が酔って「おい、ナイチャーに負けるなよ」とぽつりと言ったことを思い出しました。

 それではレイバーネット2.0読者のみなさん、これからよろしくおねがいします。