<アリの一言>

個人情報の流出が連日大きなニュースになっています。デジタル社会の欠陥、それを野放しにしてきた政治の無策が露呈した形です。買い物の電子決済からさまざまな申請まで、いまやスマホ(アプリ)なしには生活していけない様相を呈しています。そこには必ず権利侵害が伴います。
取り返しがつかなくなるまえに、「デジタル社会」について立ち止まって考え直す必要があります。
月刊誌「地平」(11月号)が「アナログに生きる権利」と題した特集を組みました。その中で小笠原みどり氏(監視研究者・ジャーナリスト)が「今こそアナログを選ぶ 監視資本主義に対抗する選択」と題する示唆に富む論稿を寄稿しています(以下、要点抜粋)。
<「アナログで生きる権利」を「旧来の生活習慣のとおりに生きる権利」ではなく「未来に向けた積極的で創造的な権利」として位置づけたい。
現在のデジタル化が引き起こしている最大の社会的課題は、監視社会化だ。監視されずデジタル技術を使う選択肢はほぼない。IT企業や通信会社が個人データを集め、それが政府や警察、諜報機関へ流れ込む。複数の主体による共同作業としての大量監視の仕組みが、過去25年で構築されてきた。
デジタル技術と監視の結びつきは、技術の自然な発展として生じたものではない。デジタル技術による監視問題は、企業の利益、政府の政策、監視を合法化する法律、警察や諜報機関を正当化する文化(テレビドラマなど)が互いに支え合っている。
監視資本主義は企業にとって都合のよい消費者を、監視国家は権力にとって都合のよい国民を生み出そうとする。どちらの場合も、企業や政府が求めるものを、自分自身が求め選んだのだと思わせることが重要なのだ。
こうした状況で「アナログで生きる権利」を主張することは、個人を取り込もうとする監視資本主義から自分の身を引きはがすための有力な選択だ。仕組みを知り、必要なら拒絶することによって、独立した思考を回復し、個人の尊厳を取り戻していく。これはまさに憲法で保障された権利だ。憲法の理念とデジタル社会のあり方を結びつけて考えるべきときだ。
デジタルのすべてを拒絶することはできなくても、アナログを選ぶことによって監視や行動変容の誘導から距離を置くことはできる。それは、「より速く、より多く、より強く」という価値観からいったん外へ出て、別の社会のあり方を考える一歩になるだろう。
アナログを選ぶ権利の保障を求める一方で、デジタル技術の民主化も進める必要がある。お年寄りや子どもを含め、技術的知識の有無にかかわらず権利(監視や個人情報収集を避ける)が保障されるには、実効性のある法規制が必要だ。利用者一人ひとりの自己防衛に任せてはいけない。
親、教師、若者と働く人たちがそれぞれの場所で感じたデジタルの害を共有し、社会運動にすれば、企業にプライバシーを重視した仕組みをつくらせ、法制度を変える力になる。小さく見える変化が次の変化を引き起こし、意識を変えていく。
アナログを選ぶと、一つのことに集中し、落ち着いて取り組むことができる。紙の本を読み、ノートにメモを取り、手紙を書き、目の前の人と話す。そこには充実感や達成感がある。デジタル化がここまで進む以前の時間感覚を知っている世代には、その豊かさを次の世代へ渡す責任があると思う。
アナログに生きる権利とは、技術が私たちの行動や思考、未来を決定するのではなく、自分たちで未来を選び直すための権利なのだ。>
私自身、「アナログ人間」と自称するとき、どこか「時代遅れ」という否定的な思いがありましたが、そうではないと目を覚まされました。「アナログで生きる権利」は、個人の尊厳を取り戻す権利であり、自分たちで未来を選び直すための権利。アナログの豊かさを次の世代へ渡すのはまさに私たちの世代の責任。その思いを強くしました。


