
●第114回 2026年7月15日(毎月10日)

上映される機会が少ない内外の映画を取り上げるから、東京・京橋にある国立映画アーカイブ(写真)にはときどき通っている。以前は、東京国立近代美術館フィルムセンターという名称だったか。誰それの映画監督や俳優などの作品ポスターなどテーマを絞り切った展示会も、自分が拘っているそれに見合ったものの時は楽しい。図書室も充実している。
私も先年来もろもろの資料を整理し手放す過程で、キューバで刊行されている“Cine Cubano”(「キューバ映画」)と題された季刊誌の1980年代初頭から2011年までの分60冊ほどを同図書室に寄贈した。キューバは革命が成った1959年に、直ちにICAIC(キューバ映画芸術産業研究所)を設立した。設立の法令は同年3月20日付けで公布されているから、革命の成就からわずか3か月以内のことだった。1979年には「新ラテンアメリカ映画祭」を年一度ハバナで開催し始めて現在まで続いている。1984年には「新ラテンアメリカ映画基金」が、そして1986年には「国際映画・テレビ学院」が創られた。後者の2件の創設に当たっては、1982年にノーベル文学賞を受けたコロンビアの作家、ガブリエル・ガルシア=マルケスがその賞金を提供したとされている。キューバはこのように、他のラテンアメリカの人びとと協働しつつ、映画振興の場をいくつも作ってきた。20世紀後半から現在に至るまで、映画と言えばハリウッド製の映画に席捲されていたラテンアメリカ各国で独自の映画製作が盛んになり、各国・各地域の映画人たちが国境を越えて協働・連帯する形で相互交流を深めたりする条件を整備してきたのだ。したがって,季刊誌『キューバ映画』は、単なるキューバ映画の雑誌ではなく、世界各地/ラテンアメリカ/キューバの映画状況をキューバの視点から浮かび上がらせる独自の国際的な視野と、映画芸術が誕生して以来の歩みを大事にする(その意味で、映画発祥の地=ヨーロッパの映画作家たちの試行にはもちろん重点を置いて顧みるという)歴史的視野をもっていて、私には大いに役立った。
話題がいささかキューバに偏してしまった。国立映画アーカイブのことに戻る。去る6月末、そのアーカイブが「使命は人類の記憶を繋ぐこと。国立映画アーカイブの活動にご支援を」と題して、クラウド・ファンディングを始めるというニュースに接していささかならず驚いた。
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https://www.nfaj.go.jp/support/crowdfunding/2026-06/

私たち自身、昨年2025年のボリビア・ウカマウ集団全作品上映に際しては、主として宣伝費を賄うための資金をクラウド・ファンディングで募った。クラウド・ファンディングとは、文字通り、「群れを成す人びとの手による資金調達」の意であり、そこにはあるひとつの目標を実現するための「協働・連帯・相互扶助・交換・贈与」など、人間が人間であるための大切な精神的原理が漲っている。私たちの場合も、多くの人びとの協力に恵まれて、本当に力づけられ、ありがたかった。
だが、国立映画アーカイブの場合は、国公立館である。元来、採算に合わない事業であっても公共の福祉に役立つためには果たさなければならない使命を、当然にも、持つものだろう。思えば、確かに、今年5月以来、国立の博物館・美術館などに対して、文科省が5年ごとに策定する「第6期中期(2026~2030年)目標」が波紋を呼んでいるというニュースは目にしていた。私の場合は日々の忙しさにかまけて読み過ごしていたが、今年2月27日付けで策定されたそれは、独立行政法人が行なう展示事業の数値目標を導入した。展示に関わる費用に対して、自己収入額の割合を、2030年度までに65%、次期中期(2031~2035年)目標の終了年=2035年度までには100%とすること、そして40%に達しない場合には「再編」の対象とすることを定めていた。財務省からの強い要求・圧力の下で採用された路線なのだろう。
広義の福祉事業一般、教育、医療など、通常でもそれが採算点に達するには容易ではない種類の事業、だからこそ納税者から得た税金をそこに投入して、公共的な視点から支えなければならないものが社会にはある。万人が利用する鉄道網、生きていくための必需品としての水道の事業も、かつては当然にも、その種の公共事業として捉えられていた。だが、1973年南米チリでアジェンデ社会主義政権を打倒する軍事クーデタを、米国CIAが全面的に支援して実現させて以降が分岐点だったろうか。米国政府・国際金融資本は、チリに誕生させたこの軍事政権を、同じ地域にある社会主義キューバの代替モデルにするために、新自由主義経済を推進する基軸国とした。採算の取れにくい公共事業部門(福祉・医療・教育)を政府直轄から切り離し、いわゆる「民間活力」を生かして民間企業の競争力に委ねること、もって「小さな政府」を実現すること、これである。この新自由主義政策が1970年代~80年代のラテンアメリカ各国を席捲した。それは次第に、アフリカ諸国・アジア諸国にも波及し、今でいうグローバル・サウスの国々もこの弱肉強食政策の餌食となった。80年代初頭からは、サッチャーのイギリス、レーガンの米国、中曽根の日本など「先進国」でも採用される政策となり始めた。この政策が世界を覆い尽してからほぼ半世紀後――それが、いま私たちの眼前にある世界の姿である。緊縮財政を推進する勢力が、増大する一方の軍事費についてはひと言の批判も行なわないこと、これも一貫した姿勢である。
『週刊金曜日』6月26日号には、足利市立美術館学芸員・江尻潔氏が「何のための美術館か」と題する文章を寄稿している。国立映画アーカイブと同じ指示を受けている全国の国立美術館・博物館が、この措置によってどんな影響を受けるか、「人権よりも国家を重視し優先する」現政府の施策がいかなる未来を引き寄せるものであるかを、冷静に問うている。国家社会の在り方を問うこと/予算も人手も潤沢ではない中で何を優先して税金を投入するかを広く議論すること/映画アーカイブ・美術館・博物館は蓄積されてきた文化遺産をいかに継承し続けるかという問いに、学芸員も利用者も取り組むこと――公共的で重要な問いかけが、この問題の底流にはある。

