
<評者:黒鉄好>
毎木曜掲載・第457回(2026.11.5)
『あきれ果てても、あきらめない~東京電力・福島第一原発事故を問う』(子ども脱被ばく裁判の会・編、ままれぼ出版局/泉町書房、本体1600円、2026年7月)

子どもたちを放射能被ばくから守りたいという当たり前のことが、日本ではなぜここまで徹底的に通らないのか。そのような思いを胸に立ち上がった母親たちの手によって創刊された雑誌「ままれぼ」が本書の母体となった。ままれぼ出版局代表理事の和田秀子さんは、この問題を積極的に取材、ライターとして活動してきた。
事故直後の福島住民は、戦時中の学童疎開になぞらえ行政に子どもの「集団疎開」を迫った。ところが県内の行政は疎開どころか放射線量が高いまま学校再開に動く。危機感を募らせた住民が初めて起こしたのが「ふくしま集団疎開裁判」だった。福島地裁で被ばくの危険性は認められ実質、勝訴に近い内容だったが主文では敗訴。子どもたちを冷酷に切り捨てる判決文を無表情で淡々となぞり、あるいは主文だけ読み上げそそくさと退場する多くの裁判官が本書には登場する。避難の権利を求めた裁判で、勝訴は1つもない。
ただでさえ難解になりがちなこの種の裁判を読みやすく平易な表現で追っている。集団疎開裁判を引き継いだ子ども脱被ばく裁判で、「ニコニコしている人に放射線は来ない」と発言した山下俊一・福島県放射線健康リスク管理アドバイザーや、福島県立医大で子どもの甲状腺がんの手術を担当した鈴木眞一医師ら大物の証人尋問を実現するまでを描いた場面には引きつけられる。原発裁判が持つ「高度の国策性」の前に正論がことごとく跳ね返された15年の歩みでもある。座談会(第5章)では、今後同様の事故が起きた場合、住民に避難の自己決定をさせないため、徹底したデータ隠蔽が行われると関係者が予測する。
国の原子力政策と闘う市民が、慎重を期しながら言葉を選んで発言するのに対し、これをつぶす側は「不正確かつ汚い言葉で言いたい放題」であり「手段を選ばない人たちに、どうやって立ち向かえばいいのだろうか?」と原告の1人・荒木田岳福島大教授は問いかける。「社会の大きな流れに抗して『小さき声』を上げ続けることは、気の滅入る、しんどい営み」だと率直な思いも吐露している(本書P.180)。
今や地球全体が「汚い言葉で言いたい放題の無法者が跋扈する世界」に変わった。福島が悪い意味で「荒野と化す世界の先行指標」だったことも今、振り返ると見えてくる。
一方で希望もある。国際社会からのまなざしだ。2022年に訪日調査を行った国連特別報告者セシリア・ヒメネス・ダマリー氏は、避難は正当な権利だとする報告書概要を公表した。2023年にも「ビジネスと人権」作業部会が訪日調査。日本の裁判官の人権意識が低いとして、裁判官に対する人権研修の実施を促す声明を発表している。
本書のタイトル「あきれ果てても、あきらめない」は、奥付にもあるように、いわき市出身の講談師・神田香織さんの言葉である。「はだしのゲン」「チェルノブイリの祈り」など核・原発をテーマにした講談を各地で行ってきた。本書に登場する原告はもちろん、多くの被害者が「15年後のこれから最も大事なのは事故の継承」だと口を揃える。
「老いた自分が子供たちの身代わりになれないものか」。裁判を支援してきた漫画家ちばてつやさんの言葉が帯に記されている。ちばさんは10月22日、87歳で死去した。彼の遺志に応えるために、私も「あきれ果てても、あきらめない」市民の1人でありたい。

