永田浩三(ジャーナリスト・武蔵大学名誉教授)

 先週、わたしの家族が帰宅して第一声、すごい映画を観たよと興奮して語った。ただし音響設備がしっかりしている映画館じゃないと映画が台無しになるから気を付けてと、釘を刺された。
 ということで、今日新宿ピカデリーの9階で観たが、すぐに言われた意味がわかった。轟音、爆音、濁流、砂塵を吹き飛ばす暴風。これは心とからだで音を体感する、音響の極致を追求した映画だ。

 『シラート』とは、イスラム教において、人が亡くなった後、魂があの世に渡っていく橋のこと。日本の能狂言でいえば、舞台に向う橋がかりのようなもの。死と生が生々しく露出する場で、人生とは何か、人を思いやるとはなにかを見極めようとする映画だ。

 映画の舞台は北アフリカのモロッコの砂漠。砂漠といってもなだらかな丘陵ではなく山あり谷あり。行く手に険しい崖や川が立ちはだかる。
 父のルイスは、失踪した娘の手掛かりを得ようと、幼い息子エステバンと犬を連れて、野外レイヴパーティーに参加する。レイヴパーティーとは、激しい電子音楽を大音量で流し、夜通し踊り狂うイベント。違法ドラッグとも縁が深く、しばしば当局の取締りの対象にされてきた。

 からだ全身を震わせる音楽。だが娘は見当たらない。父のルイスは、次なる会場に向かおうとする人たちの車の後をつけて砂漠の奥深くに分け入っていく。ここからはひたすらロードムービーだ。旅をともにするのは一癖も二癖もある人たち。中でも存在感を示すのが、内側に爆発するような激しさを抱えたジャドや、片手の先を失い義足で闊歩するトナンだ。3台の車が悪路を必死に越えていくさまは、そのむかしジョルジュ・クルーゾー監督の『恐怖の報酬』で、ニトログリセリンを積んだタンクローリーのハラハラドキドキを思い起こさせる。

 実際のモロッコの砂漠には、内戦のなかで敷設された地雷が埋まっている。まるで神が人間を試すかのように、容赦なく牙をむく。それでも人間は、わが身を犠牲にしても他者を気遣うことを忘れない。その典型が父ルイスである。ルイスは息子のエステバンから優しい心を引き継いだのかもしれない。

 『シラート』の中には好きなところがいっぱいある。その一つ、ペットボトルのわずかな水を分け合うところ。普段はわがまま勝手に見えながら、極限のなかで互いにいたわりあうのだ。

 映画のラストは、同じ北アフリカの砂漠を舞台にした『イングリッシュ・ペイシェント』を連想した。戦場から離れ虚脱感の中で風に吹かれる看護師をジュリエット・ビノシュが演じた。轟音と静寂。絶望と虚無。それでも生きて行かねばならないのが人間だということをこの映画は教えてくれる。

★『シラート』公式サイト⇒https://transformer.co.jp/m/sirat