
時代をうつす写真の変容/渋谷・ヒカリエホール

<志真斗美恵 第25回(2026.7.27)・毎月第4月曜掲載>
「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」展は、2024年フランスの「アルル国際写真フェスティバルを皮切りに14万人を動員した規模世界巡回展が拡大して待望の日本上陸」(本展チラシより)をした凱旋展。英語タイトルは「I’m So Happy You Are Here」。英語名は、国際巡回展と同時に刊行された英語版・フランス語版の1950年代以降の日本の女性写真家たちの足跡をたどった書籍名と同じタイトル。写真家・川内倫子の詩を下敷きにしているという。欧米巡回展は26人の約130点だが、日本での展示は、4人増やし30名約200点となってる。
プロローグとしておかれた島隆(シマリュウ)「カボチャを持つ島霞谷像」は、笑顔の夫を撮ったもの。1860年代の作で、当時の写真は長時間露光が必要だった。これを撮ることは容易なことではなかっただろう。夫亡き後、自ら写真館を営んだ彼女は、日本ではじめて「写真師」を名乗った女性だった。
本展は、1950年代から今日までの女性写真家の、インスタレーションや映像も含めた展示となっている。私は、写真家というと、サルガドをはじめ、土門拳、木村伊兵衛、東松照明、田沼武能と男性の名をあげていることに気づいた。女性では、写真だけでなく文章もよく読んでいる石内都や赤線の女性を撮った常盤とよ子、若手の長島友里枝や蜷川実花の名をあげられるが、抽象写真(山沢栄子)、コラージュ写真(岡上俶子)、フォトグラム写真(杉浦邦恵)など、多様な写真があり、そこには、記憶・身体・ジェンダー・セクシュアリティーなどさまざまな被写体と表現があることを痛感した。「女性」写真家であることは、性別で一様にくくることはできない。
その中で、案内嬢の状態を提示する「案内嬢の部屋1F」(2枚組・やなぎみわ)は、写真の構成によって、若い女性に対する既存の価値感に疑問を呈している。
沖縄に生まれ、沖縄をめぐる人物を撮り続けている石川真生の作品は際立っていた。沖縄における地上戦で、4人に1人の住民が亡くなり、現在も、沖縄には日本における70パーセント以上の米軍基地が存在している。そこで写真を撮ることは何を意味するのか? 石川は、人間を愛している。緊張感が本土の者とは違う。彼女の写真を見ると、日本社会の問題を突き付けられる。
安田講堂がバリケードで封鎖されるなかで、たった1人、内部写真を撮ることが許された女性(渡辺眸)がいた。なぜ、彼女がバリケード内に入ることができたのか、私は気になった。
『図録』には、30人の出品者が、見開きページの左に1枚の自作写真、右ページに自分にとって写真とは何かを綴った文章が載っている。それぞれ、写真の捉え方は違っている。当然の事だと思うが、では、なぜ「女性」とくくるのかとかんがえさせられる展覧会であった。
展示も圧巻だったが、『図録』も、1926年~2025年の100年間を、〈社会の出来事〉〈美術・文化〉〈写真に関するできごと〉〈写真展・写真集等・評論等〉と区分し、男性写真家の仕事も含めてまとめられているのは、今後、写真を考える上で貴重な資料になるだろう。
(8月26日まで 東京・渋谷ヒカリエ9Fヒカリエホール 2200円/U-30割1500円/高校生・中学生・小学生1000円)

