
<志真斗美恵 第28回(2026.10.26)・毎月第4月曜掲載>
●「共時的星叢 — 時を共にした星たち 越境する芸術のまなざし」展(東京都立現代美術館)

昨年「いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年」展(横浜美術館)があった。いま、台湾の美術・文化を見つめる展覧会が東京都現代美術館で開かれている。台湾は、1895年の日清戦争終結後、日本敗戦までの50年間、日本の植民地だった。
台湾は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への帰還運動、さらに朝鮮戦争の起きた朝鮮半島とくらべると身近ではない。
横浜の展覧会は、日本と韓国の共同企画だが、この企画は、台湾との合同企画だった。特別協力として、国立台湾美術館をはじめ国立の文学館、歴史博物館、市立美術館が15館以上ならび、台湾文化部、台湾外交部などが助成している。
ゲストキュレーターとして、映画監督・黄亜歴(ホアン・ヤーリー)を迎えている。彼は、日本統治時代に日本語で詩作した数人の詩人をめぐる歴史を軸に、1930年代のモダニズム詩人グループを描いた映画『日曜日の散歩者』(2015)の監督。展覧会は、美術作品のみならず、文芸、映画、音楽、演劇、舞踏などが、モンタージュされ、構成された展示となっている。迷いこむような展示――実際私は迷ってしまったーーの6つの章を、資料500点、近代台湾美術点200点、日本の作品100点によって、「無数の星のようにそれらの関係性が交錯する空間の中で、現代の視点から近代を再考することを試み」たとされている。
たしかに答えは一つではない。1895年以来台湾は、50年間日本の植民地であった。日本統治下、台湾では、日本の教育制度・美術制度をとおし、あるいは日本に留学した台湾人をとおして西洋の芸術・思想が学ばれていった。1920年代、展示されていた台湾の人は、ほとんど東京美術学校に通っていた。
1930年代以降、台湾でも日本の皇民化政策が推し進められ、日本軍の一員として出征させられていた。李澤藩「出征の見送り」(1938)では、日の丸があふれている。
最終章は、1945年以降である。日本による統治がおわり、中華民国の施政になった。張才「爆撃された天主堂」(1946)や、力軍(黄栄燦)の版画「恐ろしい検査―台湾2・28事件」(1947)などの展示がある。台湾は、1947年の2・28事件をきっかけに、40年間の戒厳体制が続き、14万人が投獄または処刑されたといわれる。画家・陳澄波、版画家・黄栄燦は命を奪われた。
この展覧会では、キャプションを、日本語、英語のほか繁体字の3種類を並べ、作家名は、現地での発音をカタカナで記していた。展示台が迷路のように置かれ、1907年作の荻原守衛のブロンズ像「坑夫」(1907)をはじめ、日本からアメリカに移民として渡った石垣榮太郎の油絵「14番街のミュージックホール」(1924)、朝倉文夫の彫刻「餌食む猫」(1942)など、台湾と直接かかわりがない画家の作品もあり、それらを通して当時の日本の現実を現そうとしたのかもしれない。
9月5日から展覧会は始まっているが、報道はほとんどされていない。図録ができるのは11月だという。図録が出来上がったころに、台湾の画家たち一人ひとりを、その背景なども丹念にみて、再度考えてみたい。 (12月13日まで開催 月曜休館)


