ロンガの海
あなたは侵略者だったのですか?
83分 ドキュメンタリー
劇場公開日:2026年11月28日
監督:小西晴子
製作国:日本
配給:太秦
公式サイト:http://ronganoumi.com
予告編:https://x.gd/8TwCA
※ロンガ(Lhoknga):インドネシア・スマトラ島最北端のアチェ州にある地域・ビーチの名称
●登場人物
マリオ黒岩
日系インドネシア人3世。
石油輸出入会社経営。
小さい頃「侵略者の孫」と虐められる。
祖父の黒岩通(とおる)は、は何故インドネシアに残留し、なぜ家族を残し日本に帰国したのか-黒岩通がいたアチェで当時を知る人々に話を聞くと、そこには黒岩の光と影があった。
ヘンドリ黒岩
マリオの父。
黒岩通が日本に帰国した後、母が仕立ての仕事で、必死に子どもを育ててくれた。
ヘンドリは、貧しい家計を助けるため子どもの頃から働き、長い間、父に棄てられたと、心に傷を負っていた。
しかし、日本で父の帰国の理由を知る。
ハデイジャ梅田
マリオの母。
日本残留兵梅田実の娘。
日本の天理大学に留学し、インドネシアのメダン領事館に勤務していた。
ヘンドリと結婚し二人で懸命に働きヘンドリを支えてきた。
梅田実は、メダンの英雄墓地に眠っている。
●解説
2023年7月、インドネシアのジャカルタ郊外に、「残留日本兵歴史資料館」が開館した。
その活動に関わる一人が、三世のマリオ黒岩。
彼らは、今も「侵略者の子」と呼ばれている。
1942年、日本軍はオランダ領東インド(現在のインドネシア)を占領。
日本の占領政策によってインドネシアの人々は大量に労働力として動員され、飢餓や病気で多くの命が失われた。
マリオの祖父・黒岩通は戦時中、スマトラ島北部のアチェで特別警察隊長を務め、抗日運動に関わる住民を弾圧し、恐れられる存在だった。
しかし日本の敗戦後、独立を認めない連合軍が再びインドネシアへ侵攻すると、黒岩は立場を一転させる。
自ら部隊を率いて独立戦争を最前線で戦い、4年半に及ぶ戦いの末インドネシアは独立を果たした。
その後アチェで結婚し、自身の名をモハメド・アリと名乗り、二人の子どもに恵まれた。
しかし、独立から6年後の1955年、黒岩は突如日本へ帰国する。
妻と幼い子どもを残して――。
忽然と姿を消した父。
理由を知ることもできなかった息子のヘンドリは永い間「棄てられた」という思いを抱えながら暮らしてきた。
だが約80年の時を経て、これまで知ることのできなかった史実を知るべく、マリオが動き出す。
黒岩通とは何者だったのか。
なぜこの地に残り、なぜ去ったのか。
心に閉じ込めてきた家族の沈黙をほどく旅が、はじまる。
●残留日本兵とは
1945年8月15日、日本軍は、連合軍に降伏し、武器を引き渡す義務を負った。
一方、独立を宣言したインドネシアからも武器を要求された。
こうした中、およそ1000名の日本兵、軍属が、日本軍を脱走し、インドネシア独立戦争に身を投じた。
ある者は戦犯を恐れ、ある者は独立の約束を果たそうとし、ある者は愛する人のために——。
戦闘で半数以上が命を落とし、生き延びた300余人は、この地で生きていくことを選んだ。黒
岩通もそのひとりだった。
(公式サイト)
●制作経緯
監督の小西晴子です。
『ロンガの海』は、取材から26年の歳月をかけて完成しました。
私の父は、インドネシアで敗戦を迎えた日本兵でした。
私が子どもの頃、理由もなく父に殴られたこともあり、距離がある親子でした。
そのため、父の戦争体験を聞いたのは、父の死の4年前でした。
「インドネシアの人は、日本に好意を持っていて、喜んでいる」と語った父。
私は、自分の目で確かめたいと――2000年から取材を始めました。
「国家に身を捧げよ」と教育された父
第二次大戦以前、日本の子どもたちは、「国家に身を捧げよ」と教育されました。
私の父 小西繁男もその一人でした。
大正デモクラシーの時代の自由な大学生活を送っていた父は、卒業を5カ月後に控えた1942年10月、22歳で軍隊に召集されました。
父が軍隊で記していた日誌を見ると、教官が「国家の盾となること肝要なり」と訓示しています。
父は、「戦陣訓の生死を超越せる悠久の大義こそ、吾等の目指すとこなれども、未だもがきつつあり」と書いています。
そこには、死ぬことに煩悶する青年がいました。
しかし1年半の訓練で、「日本人は、国家あるいは家のため、己を殺すという生き方をする。戦場で死んでも、忠孝という精神に安心立命を見出すことのできる日本人は、実に幸いにして有難し」と書く、兵士に変わっていきました。
そして、ジャワ島に派遣され、インドネシアの「郷土防衛義勇軍」の青年たちを訓練しました。
残留日本兵との出会い
1945年8月17日、日本敗戦の2日後、インドネシアは独立を宣言します。
しかし、10月25日、イギリス軍がジャワ東部のスラバヤに上陸。
スラバヤ市民は、日本軍から奪取した武器を持って立ち上がり、連合国の再占領に抵抗。
こうして、イギリス、そして、オランダとの、インドネシアの独立をかけての戦争が始まります。
その中に軍を脱走した日本兵もいました。
2000年、私は、ジャカルタの「福祉友の会」の事務所で、乙戸昇(1918年東京出身)さん、宮原永治(1922年台南出身)さん、藤山秀雄(1922年佐賀出身)さんにお会いしました。
残留理由はさまざまでした。
独立後、彼らは、屑鉄の回収、爆弾での魚の収穫、にせ医者など、生きるために何でもやったそうです。
2005年、藤山さんと、山の中の戦友の墓参りに行きました。
インドネシアでは、約4.3万人の日本兵・軍属が戦死し、いまだ故郷に帰れず、約2.5万人戦没者が野に山に海に眠っています。
2013年に亡くなった宮原さんからの手紙には、こう書かれていました。
「私たちの世代は戦争に明け暮れ、どれだけの人が死亡したかを考えれば、来る21世紀は人類が平和に暮らしていけることを人一倍祈念してやまないのです」。
日本は海外で戦う国になるのか
2015年9月、市民の強い反対を押し切って、安保法制は強行採決されました。
日本は、「集団的自衛権」として海外で武力攻撃ができることになりました。
2020年、アメリカの要請で、自衛隊の護衛艦「たかなみ」が中東に派遣されました。
日本の戦争を知ってほしいと、インドネシアで戦った父、残留した日本兵のドキュメンタリーを作ろうと決めました。
主人公マリオ黒岩との旅
2022年、私は再びインドネシアを訪れました。
日本兵は、全員が他界していましたが、彼らの子孫は5000名を超えるまでになっていました。
20~30代の若い日系三世は、祖父たちの埋もれた歴史を残そうと活動していました。
驚いたのは、孫の世代が今も「侵略者の子孫」と呼ばれて傷ついている現実でした。
その一人マリオ黒岩には、祖父の記憶がありません。
独立後、数年して日本に帰ってしまったからです。
マリオは、家族と自分自身のために、祖父の人生に向き合おうとしていました。
「真実が知りたい」というマリオの旅が始まりました。
(公式サイト)
劇場情報:https://x.gd/DVBkA
東京 ポレポレ東中野 2026年11月28日(土)~
栃木 宇都宮ヒカリ座 2027年2月5日(金)~
栃木 小山シネマロブレ 2026年12月4日(金)~

