閉じたい現実の中のファンタジー
堀切さとみ(映像制作者)

中野量太監督の『私はあなたを知らない、』を観た。『湯を沸かすほどの熱い愛』がとてもよかったので。家族に捨てられた人間というのが、中野監督のテーマであるように思う。
今回の映画の主人公は夕平という、ゴム手袋の会社の契約社員。幼いころに母親が蒸発してしまい、孤独にルーティンをこなしている。何かを諦めたかのような毎日だったが、本人にさほど不満はない。お気に入りのベーカリーで、焼き立ての食パンを買うのがささやかな楽しみだ。
そんな夕平の会社に、パートとして入社した紗月。二人の距離は縮んでいき、やがて紗月はシングルマザーであることを明かす。紗月の娘の朝子は夕平に懐き、夕平はぎこちないながら、父親のような愛情を注ぐようになる。
その夕平が、紗月を殺めてしまう。刑期を終えて出所する前に、18歳になった朝子はその事実を知り、本当のことを知りたいと面会に行くが、夕平は何も語ろうとしない。
家族をつくれるかもしれないと期待した28歳の夕平と、母を殺された娘と面会する40代の夕平。この両方を演じる坂口健太郎がすごい。夕平の不器用なまでの誠実さが伝わってくる。
映画は、疑似家族だった3人の暮らしの変遷を回想する。一番変わったのは紗月だ。自分から近づいて頼りにした夕平のことを、わずかな月日で疎ましく思い、ストーカー呼ばわりするようになる。あまりにも酷い、身勝手な女だなあと思いながらも、シングルマザーの必死さがリアルに描かれているとも感じる。
被害者は加害者を一生憎むだけで、加害者と被害者が交差することはないのか。
タイトルの「私はあなたを知らない」という台詞が、二度映画の中に出てくる。最初は夕平、二度目は朝子。一度目は切ないけれど、二度目を聴いた瞬間、満ち足りた気持ちに包まれて、泣けて泣けて仕方がなかった。閉じてしまうような現実をこじあけて、まっすぐ生きていけるだけの希望を与えてくれる。私は単純なのだろうか。
中野監督はやっぱりすごい。

期待する監督だけに細部にも目配りを
永田浩三(ジャーナリスト・武蔵大学名誉教授)
話題の映画。今年は例年に増して素晴らしい映画が目白押し。だからこの作品も優れてはいるのだが、つい目が厳しくなってしまう。ごめんなさい。
監督の中野量太さん。『湯を沸かすほどの熱い愛』や『浅田家』は大好きだ。今回は、実際にあった事件をヒントにしながら、練りに練ったオリジナルの脚本を仕上げた。
白いゴム手袋、食パンを切る包丁、20年経たないと花を咲かせないサボテン、朝7時に鳴るアラーム付デジタル時計、東京スカイツリータワー、パック入りの牛乳、たらこのおにぎり、赤いケチャップが乗ったオムライス、溶ける2つのソフトクリーム、たくさんの色のクレヨンが入った箱・・・。どれも物語を形成する上で大事で魅力的なツール。だが、どれひとつとして深掘りされないのだ。映像の世界の鉄則がある。小道具は作品全体を決定するほど重要だが、そのディテールを雑に扱うと、全体を破綻に追いこむと。細部っておそろしい。
孤独で人間関係を作ることに臆病、だからこそ家族に人一倍あこがれる夕平(坂口健太郎さんが演じる)が、シングルマザーの紗月(堀田真由さんが演じる)と朝子(幼少期は倉田瑛茉さん、成人後は早瀬憩さんが演じる)との愛情あふれる日常が壊れていったのか、実はよくわからなかった。
冒頭は素敵な始まりだ。夕平が朝7時にきっちり起きるのに反して、朝子は大雑把で朝寝坊。ふたりの対比が面白かった。だがちょっとずつ、ちょっとずつ細かいところに違和感を感じ、その違和感はわたしのような観客には修復不能なまで大きなものに感じられた。
いちばんわからなかったのは、そもそも夕平が紗月にけがを負わせ、紗月がアパートの階段から転げ落ち、踊り場のところで頭を打って亡くなったことに対して、殺人罪が成立し、15年の刑に服することがありうるのかということだ。物的証拠はパン切り包丁。だが、紗月は右手のひらに傷を負っただけなのだ。自白もない。にもかかわらず、弁護士の町村(滝藤健一演じる)は、冤罪を晴らす意欲もなく、夕平の口を封じようとさえするのだ。これは刑事弁護人の風上にも置けない。わたしなら誤判だといって最高裁まで闘うぞ。そもそも町村弁護士がかつて離婚し娘と定期的に会うなどというストーリーが必要なのか、町村という人間が、成人した朝子が真相を追求しようとする上で、観客にもやもやを提供する夾雑物以外何者でもない。
紗月はなぜ夕平に、あのような暴力的な別れを強いたのか。保育園の運動会の30㍍と競争で朝子の靴が脱げてしまい、夕平がやり直しを叫び退場を命じられたことが、そんなに非常識なことなのか。そもそも常識にとらわれない家族を目指していたのではなかったか。幼い朝子の今を大事にしろと言われて逆上する紗月は常識人なのか。わからないことだらけ。(わたしの感受性がお粗末なのかもしれないが・・・)
もう一つ最後に。高級食パンを普通の包丁で切った場合、なぜあんなにぐちゃぐちゃになるのか。わたしも経験があるが、パンを専門に切る包丁ほどにはうまく切れないにしても、あそこまで無残になるとは考えられない。
そんなこんな。中野監督にはほんとうに期待しているがゆえに、妙なことをいっぱい書いてしまった。お許しください。
★『私はあなたを知らない、』⇒https://watashiramovie.com


