今回の皇室典範「改正」について、朝日新聞の社説(18日付)は「象徴天皇制が国民の総意に基づく以上…」、東京新聞の社説(同)は「国民の総意に基づく「象徴」として…」など、いずれも憲法第1条を前提にして高市政権の「暴挙」(東京新聞)を批判しました。

 批判は当然ですが、憲法第1条を前提にした議論・批判は正しくありません。なぜなら、第1条の象徴天皇制には二重の虚構があるからです。

 第1条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」

 「象徴」とは何かという重大問題もありますが、ここでは「国民の総意に基づく」の虚構性に絞ります。

 第1の虚構 天皇裕仁―明仁―徳仁は「国民の総意」ではない

 現在の徳仁が天皇の地位にあるのは、「皇位は世襲」(憲法第2条)という規定によって祖父の裕仁から受け継いだものです。では裕仁が新憲法のもとでも戦前から引き続いて「天皇」になったことは「国民の総意」に基づいたものだったでしょうか。否、と断言できます。なぜなら、裕仁が「天皇」でいいかどうか「国民の総意」はいかなる方法においても確認されていないからです。

「皇室典範によると、皇太子が皇位につくことになっていますが、厳密にいうと、憲法第一条によって本当は主権者たる国民の信任を得なければならないのです。…つまり、国民の総意に基づかなければ日本国の天皇になれない」(色川大吉氏「天皇制イデオロギーと民衆のメンタリティー」、『沖縄・天皇制への逆光』社会評論社1988年所収)

「新憲法の第1条は「主権の存する日本国民の総意に基づく」としているのだから、国民による天皇選任の手続きを探るべきではなかったか。新憲法への理解も天皇としての戦争責任を果たす意思もない人物がそのまま、当然のごとくに天皇の地位に就き続けたことは、今なお問題にすべきことである」(小林武・沖縄大学客員教授<憲法学>、2019年8月28日付琉球新報)

 第2の虚構 天皇制の継続自体が「国民の総意」ではない

 だれが天皇になるか以前に、そもそも敗戦後の新憲法において「象徴天皇制」という形で天皇制を残すこと自体、「国民の総意」に基づくものではありません。なぜなら、イタリアなどと違い、敗戦後の天皇制(君主制)継続について国民の意思は確かめられていないからです。

「第1、2次世界大戦で、世界の君主制・王制はほとんど消滅した。…第2次大戦の敗北によりイタリアでは、1946年6月、「王制か共和制か」を問う国民投票がおこなわれ、共和制支持約1272万票(54%)、王制支持約1072万票(45・7%)、200万票の差で共和派が勝ち、共和制が採択された。しかし、日本では象徴天皇というかたちで残った」(中村政則・一橋大教授「戦前天皇制と戦後天皇制」、歴史学研究会編『天皇と天皇制を考える』青木書店1986年所収)

 以上の2つの虚構性によって、現在の象徴天皇制はけっして「国民の総意」に基づくものではありません。

 どうしても「国民の総意」に基づいて天皇制を維持したいというなら、遅ればせながら今からでもイタリアのように「天皇制継続の是非」を国民投票にかける必要があります。そして仮に「継続派」が多数であれば、次に、裕仁に続く現在の徳仁が天皇にふさわしいかどうかも国民投票にかけねばなりません。ただし、それで「徳仁天皇」の信任が多数だったとしても、それは決して「国民の総意」ではありません。多数決による比較多数の天皇にすぎません。

*アリの一言ブログ