8月23日に報道写真家の石川文洋さんが、88歳で亡くなりました。以下、ジャーナリストの伊藤千尋さんがFBに書いた追悼文を紹介します。(編集部)
文洋さん! 伊藤千尋

石川文洋さんが亡くなられました。直後に知らせを聞きましたがまる1日、呆然としていました。あの甲高い声で快活に呼びかけてくる独特の口調がもう聞けません。つい先日、『元戦場カメラマンの視点~命どぅ宝(いのちこそたから)』(写真)という、今年6月に出された本をいただいたばかりです。
労働大学が発行する『月刊まなぶ』誌に18年間も連載されたのをまとめたものです。最後の200回目は「悪性リンパ腫になる」という題で昨年11月10日に書かれています。昨年1月の検査で異常が見つかり4月のCT検査で悪性リンパ腫が疑われたこと、それでも4月には戦争の終結から50周年になるベトナムに行って取材し、成田空港に着くと疲れて車いすに乗ったことが書かれています。
「今年のはじめから仕事に粘りが無くなった。机の後ろにベッドがある。少し机で仕事をすると横になり、十回以上読み返した藤沢周平の『蝉しぐれ』を読む・・・」と書いています。そのあとに「ガンはあまり心配していない。むしろこの年齢まで仕事が出来たことに感謝している。私の大切な今後に残された仕事はこれまでに撮影した膨大な中から選び写真を10項に分けて『写真物語』として次の世代に残していくことである。私にしか撮れなかった写真がたくさんある。一冊出来るだけ安くしたいとおもっている。ガンとの闘いという言葉は私には当てはまらない。むしろガンと仲良くして少なくとも『写真物語』が終わるまで元気でいたいと考えている」と、人生の最後の仕事を見据えていたことがわかります。
その10の項目もきちんと分類されています。①と②はベトナム、③と④が沖縄、そのあとカンボジアやアフガニスタンなどが続き、⑨が日本で災害列島や縦断徒歩の旅も入っています。最後の⑩は「戦争」で中国・盧溝橋や広島原爆ドームやペリリュー、ラバウルなどとなっています。最後のページに載っている近影は今年3月10日に米寿を迎えたときのもの。ベッドに横たわって「祝 米寿」と書かれた色紙を手にしているものです。
戦後の焼け跡が残る1953年から4年間、都立両国高校の夜間部で文洋さんとともに机を並べた同級生の濱田嘉一さんは「東京大空襲を忘れない平和の集い」を主宰しています。この集いも文洋さんが主宰した「ベトナム・カンボジアツアー」から生まれたものでした。僕は昨年の集いで講演と鼎談をさせていただきました。何回か目の「平和の集い」で文洋さんから膨大な資料をいただきました。あらためて一つ一つ目を通したいと思います。


