永田浩三(ジャーナリスト・武蔵大学名誉教授)

 映画の着想のもとになった出来事がある。1989年8月に福岡で提訴された日本初のセクシュアルハラスメントをめぐる裁判だ。A子さんは雑誌の編集現場を支えるほどの活躍をするが、編集長や社主からありもしない性的な中傷を受け、職場を追われた。そうした仕打ちが不法行為にあたるとして損害賠償を求めた。

 この年の春中国で天安門事件が起き、秋にはベルリンの壁が崩壊。世界史の歯車が大きく動く、激動の時代の物語だ。

 A子さんを演じたのはファーストサマーウイカさん。大河ドラマ『光る君』で清少納言を演じ話題を呼んだ。前代未聞の裁判を担当する弁護人ふたりを演じるのは、綾瀬はるかさんと松本穂香さん。綾瀬さんは三人の子どもを育てるお母さん。松本さんは一度は報酬に無頓着な綾瀬さんの事務所に見切りをつけ、大手弁護士事務所に移籍するものの、そこでセクハラ被害に遭い再び綾瀬さんとともに仕事をすることになる。

 映画には、被告だけでなく、弁護人や多くのメディアの男たちが登場するが、ほとんどがセクハラをしていることに無自覚だけでなく、女性の尊厳に関心を抱かないクソッタレだ。最低なのはもじゃもじゃ頭のテレビのワイドショーのコメンテイター。すでに亡くなって久しいが保守派のジャーナリスト・竹村健一さんに似ているのがおかしい。そんななかで、原告の応援のために証言台に立つ鈴鹿央士さんや、綾瀬さんのお連れ合いの弁護士・迫田孝也さんなど、ちょっとずつ成長していく男もいたりする。

 物語の展開やセリフや演技は図式的で、いただけないところもないではないが、最後の綾瀬さんの口頭弁論は素晴らしかった。「想像してみてください。あなたの大事なひとがこんな目に遭ったらどうでしょうか。相手の立場に立って考えてみてください」と切々と訴える。ひとのこころに響き、時代を切り拓く言葉とは、決して勇ましいものではなく、信念に裏付けられた静かな言葉なのだろう。

 裁判は何度も危機が訪れる。あるとき原告のA子さんが、被告側の男性と不倫をしていたことを告白する。すると多くの女性の支援者たちから激しいブーイングが起こる。犯罪社会学のニルス・クリスティが指摘するように、支援者はつい被害者に過度な品行方正を求める傾向にある。それでも支援の輪が崩れなかったのは、みんなが、たくさんの、ほんとうにたくさんの悔しい思いを体験し、それを共有できたからだ。

 映画の結末では涙があふれた。自分でも意外だった。

 映画の時代設定は、日本のバブルまっさかり。綾瀬さんは赤の、ファーストサマーウイカさんはミモザ色のボディコンスーツ、ワンピースがきりっとしていてかっこいい。
 あれから40年近くの歳月が流れた。果たして日本社会はよくなったのか。当時のまっすぐなひとたちに比べて、今はより複雑になり、一筋縄でいかなくなっている気がする。ぜひ映画をきっかけに議論が巻き起こってほしい。

★『ファーストボイス』公式サイト⇒https://movies.shochiku.co.jp/firstvoicemovie