<評者:黒鉄好> 
毎木曜掲載・第448回(2026.9.3)

『信楽高原鐵道列車事故「民営化」の闇』(本庄豊 著、日本機関紙出版センター、1500円、2026年3月)

 1991年5月14日、滋賀県信楽町(現・甲賀市信楽町)の第三セクター・信楽高原鐵道の単線上で、同鉄道の普通列車と、JR西日本から乗り入れてきた臨時急行列車が正面衝突し42人が死亡した。国鉄分割民営化後、最初の大惨事だった。

 特定地方交通線(廃止対象路線)となった旧国鉄信楽線を引き継いで、信楽高原鐵道は開業した。そこで世界陶芸祭開催が決まる。折からのバブル経済もあって世の中全体が浮かれていた。地元が立てた来場者目標35万人に対し、開幕日時点で前売り券が25万枚も売れる盛況ぶり。陶芸祭の成功は約束されたも同然だった――この事故さえなければ。

 国鉄線を引き継いだ時点での信楽高原鐵道は、全区間が単線で、途中に列車がすれ違える場所もなかった。1本の線路の上を1本の列車が行き来する遊園地のミニSLと同じで、信号設備などなくても運転できる。国鉄時代はこんな小さなローカル線に59人もの職員がいたが、三セク転換で20人にまで一気に減らされたという本書の記述には戦慄を覚える。事故は闘う国労潰しと新自由主義路線の帰結だとする著者・本庄さんに私は同意する。

 こんな小さな鉄道では、日本全国から押し寄せる陶芸祭の客を運びきれないと判断した両社は、すれ違いができる場所として小野谷信号場を設置。列車増発や京都駅からの急行列車直通運転に踏み切る。信号場での慣れない信号扱いやすれ違い運転に加え、超満員の乗客が混乱に拍車をかける。「なぜ信号が赤のまま変わらないんだ。さっさと列車を出せ!」と信楽駅に怒号が響く。JR西日本が、全区間の信号機をCTC(列車集中制御装置)に組み込み、小野谷信号場でJRの直通急行が優先となるよう設定していたことが原因だった。JRは信楽高原鐵道から列車のコントロール権さえ奪っていたのだ。

 そのことを知らされないまま、信号機を点検するため臨時に駅に呼び出された電気技師の手により、小野谷信号場の信号機が「緑」(進行表示)のまま、信楽駅の出発信号機にも緑が強制表示させられるという信じられないミスが重なる。こうして悲劇は起きた。

 信楽高原鐵道がこの日、「信号故障」に対処するため指導通信式による運転に切り替えていたことを、事故直後の報道で知った。通常運転ができないときに認められた「代用閉そく方式」の1つで、赤い腕章を付けた「指導者」が乗り込んだ列車だけが信号場から先の区間に発車できる。① 怒号を発した業務課長が指導者、② 代用閉そく方式を実施するときは、信号機を使用禁止にしなければならないが、この措置を講じていなかった信楽高原鐵道側の重大ミスが事故を誘引した、③ 極端な「人減らし合理化」と国鉄分割民営化が背景にあった――というのが私の事故原因推定だったが、指導者が別の社員だったことを除き、ほぼすべての推定が本書により裏付けられたことは大きな収穫だった。

 旧国鉄が赤字で見捨てたローカル線を、儲かるときだけ利用するJR西日本の傲慢な企業体質は、後にJR最大の悲劇、福知山線事故を生む。本庄さんは最近のJR西日本が「昔に戻りつつある」と危惧する。一方で、この事故の遺族が作ったTASK(鉄道安全推進会議)の活動により、運輸省(当時)に常設の鉄道事故調査委員会ができるなどの進歩ももたらした。35年も前の事故だが、まだまだ歴史に埋もれさせるわけにはいかない。