<評者:那須研一> 
毎木曜掲載・第450回(2026.9.17)

『あのときの王子くん』(青空文庫) アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ 著 大久保ゆう 訳

 私の職場・学童施設の同僚、Nさんの所属する劇団が『星の王子さま』を舞台で演ずるという(彼は操縦士役)。飲み仲間でもある私とNさんは8月下旬、公演の始まる数日前、どちらからともなくこんな会話を交わしました。

 「『星の王子さま』に酔っぱらいが出てくるけど、あれ、面白いよね。『酒を飲むのは恥ずかしいこと、だから、それを忘れるために酒を飲む』って」「まさに、僕です」「ほんとそれ!俺もそうだなー」

…とは言うものの、私は同書を通読してはいない。手近に読めないかな、とネット検索してみると、ありました!「青空文庫」に。ご存知かと思いますが、このウェブサイトでは著作権の消失した文学作品が無料で読めるのです。

『星の王子さま』は1943年にフランスで刊行され、1953年に岩波書店が翻訳書=内藤濯(ないとう・あろう)訳を出版。「世界中の人々から愛されるたぐいまれな本」(「青空文庫・訳者あとがき」)。2000年代に著作権、版権が失効して、新訳が簇出(そうしゅつ)。新進気鋭の大久保ゆう氏が、内藤訳も解禁後の諸訳も何するものぞ、の気概で挑んだ訳業が「自由に朗読に使ってほしい」との無私の度量から「青空文庫」で公開されています(「あとがき」)。

 大久保訳のタイトルは「あのときの王子くん」。原題は、Le Petit Prince(=The Little Prince)。「"le" という定冠詞を、訳題から落とすというのは、翻訳者としてどうしてもできません…内藤濯氏のご子息である内藤初穂氏は…新訳ラッシュの前、各出版社に対して、内藤濯氏の創り出した〈星の王子さま〉というタイトルを使わないでほしいと主張されました」(大久保氏)

 「この翻訳では、内藤濯氏に敬意を持って挑戦するという意味でも、〈星の王子さま〉というタイトルをあえて使いません…新しくかつ自由な "Le Petit Prince" を世に出すためにも、直訳の『あのときの王子くん』というタイトルを用いる次第です」(同)。

 「小さい子どもでも、目でわかり聞いてわかる言葉」(同)で翻訳された大久保さんの訳文はとても読みやすい。寝床で読み始め、寝起きの起床前に読了。面白い。心の深奥に響く。これは、Nさんの舞台も見なくては。

 9月初旬、土曜日の午後。恵比寿の小さな劇場。ピアノ演奏と合唱が客席を包む。Nさんの澄んだ歌声が心地よい…リラ、リラ、リラリラリラ♬

 砂漠に不時着した飛行機操縦士。エンジンは動かないし、手元の飲料水はあと数日しかもたない。そんなパイロットの前に現れるのが、小さな星から来た王子様。育てていたバラの花と仲違いをして、宇宙周遊の旅に出たという。この地球に到着するまでに6つの星を巡って、それぞれの星で変人に出会った。

 絶対の王様、見栄っ張り、飲んだくれ、灯りの点灯消灯係、仕事人間、伝聞で本を書くだけの地理学者…王子の語る6人は、どうでもいいことにしか興味がなくて、はたから見たら滑稽極まりない人たち…どの人も私と同じではないか!?

 では、生きる上で大切なことは何か?を巡って、操縦士は王子と対話する。キツネが現れて王子と仲良くなる。

 舞台の中で特に印象的な、王子とキツネのやりとり。大久保氏の訳文を引用する。

「きみ、だれ?」と王子くんはいった。「とってもかわいいね……」
「おいら、キツネ。」とキツネはこたえた。
「こっちにきて、いっしょにあそぼうよ。」と王子くんがさそった。「ぼく、ひどくせつないんだ……」
「いっしょにはあそべない。」とキツネはいった。「おいら、きみになつけられてないもん。」
「あ! ごめん。」と王子くんはいった。
 でも、じっくりかんがえてみて、こうつけくわえた。
「〈なつける〉って、どういうこと?」
「このあたりのひとじゃないね。」とキツネがいった。「なにかさがしてるの?」
「ひとをさがしてる。」と王子くんはいった。「〈なつける〉って、どういうこと?」
(中略)
「もうだれもわすれちゃったけど、」とキツネはいう。「〈きずなをつくる〉ってことだよ……」
「きずなをつくる?」
「そうなんだ。」とキツネはいう。「おいらにしてみりゃ、きみはほかのおとこの子10まんにんと、なんのかわりもない。きみがいなきゃダメだってこともない。きみだって、おいらがいなきゃダメだってことも、たぶんない。きみにしてみりゃ、おいらはほかのキツネ10まんびきと、なんのかわりもないから。でも、きみがおいらをなつけたら、おいらたちはおたがい、あいてにいてほしい、っておもうようになる。きみは、おいらにとって、せかいにひとりだけになる。おいらも、きみにとって、せかいで1ぴきだけになる……」
(引用おわり)

 そして、2、3日かけて、王子はキツネを「なつけた」。「なつける」…いいことばだと思う。私は日々、職場で小学生と接している。初対面の子は、その時点では「ほかの子ども10万人と、なんのかわりもない」。でも、その子の名前を覚えて、〇〇くん、⬜︎⬜︎ちゃん、と呼び、その子も私を「なっすー」と呼ぶ。そうすると、その子と私はお互いに「なつけた」=「きずなをつくった」ことになる。それはもう、かけがえのない「せかいにひとつだけのもの」。

 王子が地球を去る時が近づく。キツネはお別れの前に、王子に秘密を教える、と言う。

 「おいらのひみつだけど、すっごくかんたんなことなんだ。心でなくちゃ、よく見えない。もののなかみは、目では見えない、ってこと。」

 「もののなかみは、目では見えない。」と、王子くんはもういちどくりかえした。わすれないように。

 …心で見るしかない「もののなかみ」(内藤訳では「たいせつなこと」「かんじんなこと」)をないがしろにして、目先の、大切じゃないことに鼻面(はなづら)を引きまわされてばかりの私、及び世間の人たち。キツネのことばとNさんの澄んだ歌声を忘れまい。