<評者:志真秀弘> 
毎木曜掲載・第444回(2026.7.30)

『キャラメル工場から—佐多稲子傑作短編集』(佐久間文子編、ちくま文庫、2024年3月、880円)

 本書に収められた佐多稲子(1904〜98)の十六の短編のうち「水」は日本文学の名作としても知られる。400字十数枚だが、二十歳にならない貧しい女性の境遇と人生とがここに凝縮されている。小説はこう始まる。

 「幾代はそこにしゃがんでさっきから泣いていた。彼女がしゃがんでいるのは上野駅ホームの駅員詰所の横だった。」幾代はグリーンのセーターに灰色のスカートをはいて、背を屈め、膝に乗せた鞄を抱え込んで詰所の横で泣いていた。

 幾代の生い立ちと勤めに至る経緯、そしてハハキトクの電報が届いたことがまず簡潔に描かれる。

 ハハキトクスグカへレの電報が神田小川町の旅館で働く幾代あてに届く。旅館の主人は「次の電報を待つんだね。ほんとに危篤なら、今から帰ったって富山までじゃ、間に合やしないよ」。そう言って幾代を帰そうとしない。幾代は、生まれつき左脚が少し短い。そのために近くの紡績工場に採用にならず、結局この旅館に働きにでた。母親は幾代の左足が短いことを不憫がって自分のせいのように謝ることもあった。働きぶりは主人にも認められていたから、幾代は電報がきたときすぐにでも暇が取れると思っていた。がそうはいかなかった。翌朝、ハハシンダ、カへルカと再び電報が届く。彼女は身の回りのものと貯金通帳を鞄に詰め、出かけた主人の帰りを待たず女主人に断って、上野駅にむかった。幾代の乗るはずの列車がホームに入るまでまだ一時間はあった。そして小説冒頭のシーンになる。「幾代はもう完全にひとりになるはずだった。ひとりになるということは、彼女の身体の悲しみの重さを、ひとりで背負ってゆくことだった。」事実の積み重ねは文字通りドキュメンタリのワンシーン。だからこそ主人公の深い悲しみが浮かび上がるこの最後の場面。

 「駅員詰所の建物の先きに水道があった。水道の蛇口はさっきから水を出しっ放しであった。駅員が薬かんに水を汲んでそのままくるりと身体を回して元気に行ってしまってからあと、水は当てなしに流れ続けていた。そのそばを通ってゆくものも多かったが、誰ひとり蛇口の栓を閉めなかった。幾代は悲しみを運んでそこまで歩いてきた。顔を上げているので、瞼を溢れた涙が頬に筋をひいた。が、幾代は、水道のそばを通り抜けぎわに、蛇口の栓を閉めた。音を立てて落ちていた水がとまった。が、幾代は自分のその動作に気づいてはいないらしかった。それは無意識に行われただけだった。列車は音を立てて出てゆき、明るくなったあとに街の眺めが展がった。が、幾代は、再びもとの場所にもどってしゃがみ込むと、今までと同じように泣きつづけた。その場所に、さえぎるものがなくなって春の陽があたった。」

 幾代の人生が見えるだけではない。虐げられた人々の生き方を自分のこととして受けとめる佐多の文学の真骨頂もまた浮かぶ。「悲しみに泣いていても、主人公は誰かが閉め忘れた水道の蛇口の栓を無意識のうちに閉めに行く。佐多稲子もまた、そうやって生きてきた。」(「編者解説」佐久間文子)

 本書には1928年2月から1982年7月までに発表された16篇の作品がほぼ発表順に収録されている。小学校を中退して上京して働き始めた少女を描く「キャラメル工場から」はデビュー作であるが、作者自身の物語でもある。さらに非合法の地下活動に対する弾圧を告発する「疵あと」、さらに自身の従軍経験を戦争責任として自らを切り刻むようにして書かれたいくつもの作品も収められている。

 佐多稲子はかつてのようによく知られた作家、とはいまは言えないだろうが、それで良いとは私は思わない。このアンソロジーを読み、自らの戦争責任を誠実に追求する姿勢にも改めて感銘を受けた。ハンガンをはじめとする現代韓国文学の翻訳者である斎藤真理子は本書の帯にこう記している。「誇りと悲しみ、疼きと迷い。全部、佐多稲子が書いてくれていた。」そして本書に描かれた貧困はそのまま現在に通じていく。富裕と貧困とがはっきり隔てられ、しかも背中あわせになっている時代が現れてきた。

〈付記〉本書の編者佐久間文子による力作評伝『美しい人―佐多稲子の昭和』(芸術新聞社、3300円)もぜひ薦めたい。