
<阿部治正>
■北海道京極町の農業法人で働いていた特定技能のミャンマー人労働者が、暴力、暴言、セクハラなどの被害を訴え、職場から脱出したと報道されました。
動画や音声には、ミャンマー人労働者の胸倉をつかみ、顔をたたき、鉄の棒で殴ったとされる行為や、「ミャンマーに帰れ」「お前たちの代わりはいくらでもいる」と怒鳴る声が記録されています。女性は胸を触られ、お尻をたたかれたとも訴えています。
農業法人側は「事実関係を調査中」としています。しかし、複数の証言と動画・音声が伝えている内容は、きわめて重大です。
なかでも、私が最も強い衝撃を受けたのは、「お前たちの雇い主だぞ」「日本のご主人様は誰だ」という言葉です。
雇用契約は、主人と使用人の身分関係ではありません。雇用主と労働者は、法律上対等な当事者です。賃金は主人から与えられる恩恵ではなく、労働力の対価です。ところがこの言葉には、外国人労働者を対等な人間としてではなく、日本人に服従すべき存在とみなす意識が、あまりにも露骨に表れています。
▼個人の遅れた意識だけでは説明できません
もちろん、暴力やセクハラを行うのは具体的な個人です。その責任を曖昧にしてはなりません。しかし、この事件を「特別に乱暴な経営者が起こした例外的事件」として片づければ、同じ問題は繰り返されます。
今回被害を訴えている人たちは技能実習生ではなく、特定技能外国人です。二つの制度は区別する必要がありますが、技能実習制度が長年にわたってつくってきた支配の構造と文化が、特定技能の現場にも持ち越されていると考えなければなりません。
技能実習制度は、「国際貢献」や「技能移転」を掲げながら、実際には日本人が集まりにくい低賃金・重労働の分野に、転職の自由を制限された外国人労働者を供給する仕組みとして利用されてきました。
特定技能では転職の可能性が技能実習より広げられています。しかし、在留資格、仕事、住居、交通手段、言語、行政手続きなどを雇用主や支援機関に依存していれば、形式上の転職自由だけでは十分ではありません。
とりわけ農村部では、職場と住居が一体となり、公共交通も相談機関も限られています。雇用主との関係が壊れれば、仕事だけでなく、住居や移動手段まで一度に失いかねません。こうした力関係の著しい不均衡が、暴力やハラスメントに抵抗しにくい環境をつくります。
厚生労働省によれば、二〇二四年に監督指導を受けた技能実習実施者一万一三五五事業場のうち、労働基準関係法令違反が確認されたのは八三一〇事業場、七三・二%でした。これは違反の疑いがある事業場などを対象とした監督結果であり、全受入先の七割が違法だという意味ではありません。それでも、問題が一部の例外ではなく、広範に存在することは明らかです。
▼差別が制度をつくり、制度が差別を増幅します
「ミャンマーに帰れ」「代わりはベトナム人でもインドネシア人でもいる」という言葉には、外国人蔑視と排外主義が表れています。
そこにあるのは、アジアから来た労働者を、一人ひとりの人格や人生を持った人間ではなく、安く使い、都合が悪くなれば取り替えられる労働力とみなす発想です。
日本社会には、「外国人は日本で働かせてもらっている」「日本のやり方に無条件で従うべきだ」「不満なら帰ればよい」という意識が残っています。その底には、アジア諸国の人々を日本人より下位に見る、植民地主義的な差別意識も横たわっています。
しかし、差別意識だけで暴力的な支配が成立するわけではありません。雇用主が労働者の仕事、在留、住居、情報を事実上握る制度が、それを現実の支配力に変えます。
差別が従属的な制度を正当化し、その制度が「外国人には日本人と同じ権利を認めなくてよい」という差別を再生産するのです。
日本社会は、外国人労働者がいなければ農業、建設、介護、製造、宿泊、外食などの多くの分野が成り立たないところまで来ています。それにもかかわらず、必要なときには「貴重な人材」と呼び、権利を主張すれば「代わりはいくらでもいる」「国へ帰れ」と突き放します。これは共生ではなく、外国人を選別的に利用する政策です。
▼農業の困難を外国人に転嫁してはなりません
日本の農業が、農産物価格の低迷、資材価格の高騰、後継者不足、長時間労働など、深刻な困難を抱えていることも事実です。
しかし、その矛盾を外国人労働者への低賃金、酷使、暴言、虐待として転嫁することは、絶対に許されません。
必要なのは、外国人を安価で従順な労働力として農業に送り込む政策ではありません。農産物の適正価格と農業所得を保障し、日本人にも外国人にも適正な賃金と労働条件を保障できる農業政策です。
報道によれば、この農業法人を取り仕切る人物は町議会議員でもあります。事実関係の解明を前提としつつ、公職者が関係する疑いのある事案を、自治体や議会が「民間企業の問題」として傍観することは許されません。地域で強い影響力を持つ人物が雇用主でもあれば、被害者だけでなく、周囲の住民も声を上げにくくなります。行政、議会、警察、労働局、入管が責任を押しつけ合わず、独立した調査を行う必要があります。
▼人権を守れる制度へ転換を
第一に必要なのは、被害者の安全、住居、生活費、医療、通訳、在留資格、転職先を、公的責任で保障することです。職場から逃れた行動を「無断欠勤」や「契約違反」として扱ってはなりません。それは生命と尊厳を守るための避難だからです。
第二に、在留資格を特定の雇用主に実質的に従属させないことです。暴力やハラスメントを本人が立証できなければ転籍できない仕組みでは不十分です。被害のただ中にいる人に証拠収集を要求すれば、救済制度は機能しません。本人の意思による転職を原則として保障し、転職手続き中の在留と生活も安定させるべきです。
第三に、抜き打ち調査を大幅に増やすことです。賃金台帳や労働時間だけでなく、住居、安全衛生、ハラスメント、旅券や在留カードの管理、外部との連絡の自由まで確認する必要があります。
第四に、暴行、性的加害、賃金不払い、在留カードの取り上げなどが認定された悪質事業者には、受入れ停止、認定取消し、企業名公表、被害補償を徹底すべきです。犯罪の疑いがある行為を行政指導だけで終わらせてはなりません。
そして第五に、外国人労働者が地域の労働組合に加入できる環境を広げることです。今回、被害者が保護され、団体交渉へ進むことができたのは、札幌地域労組や教会などの支援があったからです。孤立した個人のままでは、強大な雇用主の権力に対抗することは困難です。
▼外国人を「仲間」として迎えられる社会へ
「外国人がいなければ日本経済が成り立たないから大切にしよう」という意識そのものを問う必要があります。
外国人が日本経済に役立つから人権を認めるのではありません。人は労働力である以前に人間です。日本経済にとって有用かどうかにかかわらず、暴力を受けず、尊厳を守り、声を上げ、職場を選ぶ権利を持っています。
外国人労働者の権利を日本人と同じ水準まで引き上げることは、日本人労働者の権利を守ることにもつながります。外国人にだけ低賃金と無権利を押しつける仕組みを許せば、それはやがて、日本人を含むすべての労働者の条件を引き下げるからです。
同時に、日本人全体を差別者として一括することもできません。被害者を保護した教会、地域労組、通訳、報道関係者もまた、日本社会の一部です。私たちの社会には、排外主義と、それに抗する連帯の両方があります。
問われているのは、どちらを社会の原則にするかです。
「日本は安全な国だと信じて来ました」という言葉を裏切った責任は、加害が疑われる当事者だけにあるのではありません。安く従順な外国人労働力を求めながら、その権利保障を後回しにしてきた国、自治体、産業界、そしてそれを黙認してきた社会にもあります。
この事件を北海道の一農場の不祥事として終わらせるのか。それとも、外国人労働政策と私たち自身の差別意識を問い直す契機にするのか。
外国人労働者を「安上がり使い捨て労働力」「虐待や暴力も許される」、あるいは「助けてあげるべき弱者」としてではなく、ともに働き、ともに社会を支え、ともに権利を求める仲間として迎えることができるのか。そこに、いま日本社会のあり方そのものが問われています。(阿部治正さんのFBより転載)


