<評者:志水博子> 
毎木曜掲載・第455回(2026.10.22)

『黒い海 強制徴用者の涙』ムンヨンスク著・キムセヒョン 絵・北村幸子訳(影書房)  

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 本書を手に取ったのは、長生炭鉱についてもっと知りたいと思ったからだ。私が長生炭鉱を知ったのは一昨年のことだった。その時初めてそこが海底炭鉱であったことも知った。そもそも私は海底炭鉱の存在すら知らなかった。九州や北海道の炭鉱の話を聞いたことはあっても海の底の炭鉱の話など聞いたことがなかった。 
  
 1942年2月3日朝、長生炭鉱の海底に延びた坑道のおよそ1㎞沖合で“水非常”(水没事故)が起きた。そこで183名の坑夫が亡くなった。そのうちの7割に及ぶ136名が植民地であった朝鮮半島から連れて来られた人たちだった。犠牲者は今も暗く冷たい海に眠ったままだ。一昨年、その遺骨を収集するために抗口が発見され開いたというニュースを見た。それでもそんな海底に炭鉱があったこと自体なかなか想像できなかった。まして、そこでどのような労働や生活を強いられていたかは、苛酷ということはわかっても現実には少しもわからなかった。そして昨年8月、かなり大きなニュースになったが、犠牲者の遺骨が見つかったというニュース、実に83年振りに姿を現した犠牲者に驚くほかなかった。

 本書は、その長生炭鉱“水非常”(水没事故)の生存者金景鳳さんをモデルにした物語である。著者であるムンヨンスクさんは「作者あとがき」でこう語っている。
「新聞で、日本の長生炭鉱水没事故の生存者、金景鳳翁に関する記事を読んだ。わたしは海底に炭鉱があったことを、そのときはじめて知った。そしてしばらくあと、ある使命感にかられ、金景鳳翁を訪ねた。金景鳳翁は日本へ徴用で連行されていき、死のふちをのがれて、かろうじて助かった話を、怒りをおさえながらわたしに語ってくれた。(略)この物語の主人公カンジェのように、もっともらしい嘘にだまされ日本に渡った者も多かったそうだ。物語の中に出てくるカンジェの話のほとんどは、金景鳳翁が長生炭鉱で経験したことである。」

 カンジェの故郷は日本に国を奪われた朝鮮の慶尚道。日本の戦争の波はそこにも押し寄せていた。戦時、石炭は軍需と産業を支える重要資源であったため、朝鮮人は植民地支配の下で募集、官斡旋、徴用の各段階を通じて強制的に炭鉱に動員されていった。炭鉱労働は植民地主義・戦争遂行と直結していたわけだ。

 物語は植民地であったカンジェと友人のチョンソクが故郷から日本に連れて行かれるところから始まる。連れて行かれた先は長生炭鉱。そこでムチを手にした日本人小林から最初に教えられたのは皇国臣民の誓い、そして一人ひとりに番号が告げられる。そこでカンジェがどのような生活と仕事を強いられたか、読みながら私は何度か身体を硬くした。そのままそこにいてはいずれ死を待つばかりだ。カンジェはチョンソクと共に脱出を試みる。だが失敗、チョンソクとも離れ離れになる。労働力を失うわけには行かなかった小林から殺されるまでには至らなかったものの、そこで“水非常”(水没事故)が起こる。カンジェは命からがら逃げ出す。そしてチョンソクを探そうとする。読みながら次の展開への期待が膨らむ。カンジェは心身を壊されてしまったチョンソクを見つけ出し、彼を守りながら故郷に向かう船に乗る。もうすぐ家だ、家に帰れる。

 カンジェが長生炭鉱に連れて行かれ、そこでどのような労働を強いられ、どのような扱いを受け、どのような目に遭ったか、とてもよく伝わって来る。つまり、なかなか想像できなかった長生炭鉱が迫って来たわけだ。巻末の、作者あとがき、訳者あとがき、それに2つの解説、長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会代表理事の井上洋子さんの「韓国人犠牲者・遺族とともに」、ジャーナリスト布施祐仁さんの「戦争・植民地支配・強制労働をくり返させないために」も役に立った。

 そこでふと思う、この物語を長生炭鉱を知りたいと思う私のような大人だけではなく、日本の小学生や中学生に読んでほしいと。児童書に詳しくない私がいうのはおこがましいが、本書は歴史書やドキュメンタリーでは味わえない、まさに戦争の惨状を告発し得る優れた物語であると思える。

 著者はあとがきのところで本書執筆の動機を次のように述べている。
「日本は太平洋戦争が終わるまで、自分たちの国はもちろん、遠く南洋諸島、パラオ、サイパンなど、太平洋の名もない島まで朝鮮の青年たちを引っぱっていき、弾よけとして追いたてた。そして、戦争が終わったとき、朝鮮の青年たちをそのまま置きざりにして撤収した。無理やり引っぱられ、見捨てられた青年たちは、獣のように生き、密林の中で死んでいった。私はこの物語をとおして、国を失い、無念にも引っぱっていかれ、みじめに生を終えた数万の徴用者たちの魂をなぐさめ、さらに一歩進んで、戦争の惨状を告発したかった。祖国へ帰れず、見知らぬ土地をさまよう多くの魂を、少しでもなぐめてあげたかった。」

 私たち大人はまずこの言葉を受け止めたい。そこで懸念されるのは日本の教育である。日本の小学生や中学生がこの物語を受け取るためには、日本の植民地支配と戦争の実態を知る必要がある。それが現在の日本の学校で扱われているだろうか。日本が何をしたか、そういった歴史事実を知り加害の歴史認識がなければ、この物語は日本の子どもたちにとって画餅に終わるのではないだろうか。そんなことが気になった。
 最後に、私も参考にさせていただいた「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」HPを紹介しておきたい。https://www.chouseitankou.com