●第117回 2026年10月15日(毎月10日)
映画『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』より

 塚本晋也監督の『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』(日本、2026年)を観た。映画評はほぼ出揃っているようだ。戦争の本質を知るうえでのこの映画の特別の大切さに関しては、私に異論はない。広く観られてほしいと思う。ここでは、別な観点から一点のみ書き留めておきたい。

 ネルソンが米国海兵隊の一員としてベトナムの戦場に派遣されていたのは1966年6月から13か月間だというから、2026年10月の現在、私たちはネルソンがベトナムにいた時代からほぼ60年後に生きているということになる。若干の経緯を辿ったうえで、その60年後の現在のことを語りたい。
 
 ネルソンが属した分隊は黒人兵のみから成り立っており、ベトナム中部の都市・ダナンに「投入」された。米海兵隊は1965年3月ここに上陸し、本格的なベトナム侵略戦争を開始した。巨大な軍事基地もここに建設した。1968年の旧正月には(その時ネルソンはすでにこの戦場を離れて帰国した後だったが)、南ベトナム民族解放戦線が「テト(旧正月)攻勢」を展開しダナンの駐留米軍に大打撃を与えた。これが「戦局の転換」を画するものになったこともあり、ダナンは確かに「激戦地」だった。映画が描いたように、ネルソンはこのダナンの地で、米軍兵士としての己が残虐な仕打ちで「敵」を殺し続けることで、自らの精神が壊れてゆく戦争を体験したのだった。

 ここにもうひとりの人物を登場させたい。韓国の作家・黄晳暎である。朴正煕政権が米国の支援するために大勢の韓国軍兵士を南ベトナムに派兵した時、黄晳暎も砲兵部隊員として戦闘に参加した。やがて犯罪捜査隊隊員としてダナンにも派遣されている。帰国後作家となった彼は、「自分の問題さえ満足に解決できないのに外国に対して加害者になってしまった」自分に苦しみながら、「アジア人の立場から西欧帝国主義者たちの戦争を見つめ」ようとして長篇『武器の影』を書いた(邦訳は、岩波書店、上下巻、1989年/写真)。米軍駐屯地の売店PXにはありとあらゆる物が売られている。帰還する韓国兵はここで、当時の、まだ貧しかった韓国では高値の花のような電化製品などを安く買い求め、帰国後の韓国で売り捌く商売に精を出す。打算、狡猾さ、欲望、戦略が渦巻く場だ。黄晳暎と同世代の私は、30数年前にこの小説を読んだとき、1960年代に青春期を送った隣国の者同士とはいえ、一方は国軍兵士としてベトナムへ派兵され、他方は大学生活を送りながらベトナム反戦運動に関わっていたことに現われている存在論的な「差異」を、どう捉えるかで戸惑い、悩んだ。

 ダナンは、このように「ベトナムから遠く離れた」日本の私たちにとってすら、米国の侵略とベトナム民衆の抵抗を象徴する地名として、60年後の今も鮮やかに脳裏に刻まれた地名だ。ベトナムと米国は、1975年の米軍の敗北と撤退から20年後の1995年に国交を樹立した。この動きは、侵略戦争の最高責任者のひとりと言うべきマクナマラ元国防長官が『マクナマラ回顧録:ベトナムの悲劇と教訓』(原著1995年。邦訳は共同通信社、1997年)を刊行し、ベトナム戦争は米国が犯した過ちだったと認めたことと関連してくる。

 両国はその後もさまざまな面での協力関係を強化している。両国の間に政治・経済・文化交流などの関係が作られてゆくこと自体は、対等なものであるなら、外部にあっても歓迎すべきことは言うまでもない。ここでは、軍事面での協力関係も付随していることに注目しておきたい。 

 米国は、世界の隅々にまで軍事的なプレゼンスを「誇って」いる。ベネズエラ攻撃のためには「アメリカ南方軍」が現われ、イラン攻撃に際しては「アメリカ中央軍」が立ち現れる。欧州でいったん事あらば、NATO軍と共に「アメリカ欧州軍」が現われよう。「アメリカ アフリカ軍」もある。広域のアジア太平洋地域では、韓国、日本、フィリピン、台湾、グアム、オーストラリアなどと個別に軍事協定を結んだり、基地を設置したりしている。要するに、世界で唯一米国だけは、世界中のあらゆる地域に軍事的な基盤を持っているのだ。これは、現在は200ほどの個別国家から成り立っている国際社会において、本来ならば、国家間の平等・対等の原則から見て許されるべきことではない。米国はこの「特権」を、自己懐疑も持たずに当然のごとく享受し続けてきている。他の国々は、軍事力の弱さから/あるいは諦めから/あるいは喜んで、米国のこのふるまいを、心ならずも受け入れるか/あるいは追随している。

 ベトナムでは、中国に対する警戒心の発露でもあろう、2009年以降、南シナ海を航行する米空母がベトナム沖に一時停泊し、ベトナムの軍・政府関係者が空母を訪問する交流行事が開催されるようになった。2010年8月、空母「ジョージ・ワシントン」がダナンの沖合に停泊した際には、「捜索救難」の名目での共同演習が両国海軍共同で初めて実施された。同じ月には次官級の米国・ベトナムの国防政策対話の初会合がハノイで開催され、以後両国はワシントンかハノイで毎年対話を実施している。2011年9月には「防衛協力の推進に関する覚書」が締結され、ベトナムは米国との間で海洋安全保障や平和維持活動、人道支援・災害救援の分野で協力を推進することに合意している。

 その際にダナンは、ベトナム・米国両海軍の交流の場として利用されている。2018年3月5日には、米海軍の大型空母カール・ヴィンソンがダナンに寄港した。ベトナム戦争終結から43年経って初めての米海軍空母のベトナム寄港である。同空母は5日間ダナンに寄港したが、その間に米海軍関係者は、ベトナム人民軍のみならず、ダナンの一般市民とも各種交流行事を行なっている。駐留米軍が日本各地でも行なっているが、強面の軍事の貌を隠して住民を取り込むための一計なのだろう。同じ2018年に、ベトナムは米国が主導する環太平洋合同海上演習に初参加している。2019年には、ベトナムのカマウ省沖でASEAN・米国合同海上演習が初開催されている。そして2021年には、ロイド・オースティン米国国防長官がベトナムを訪問している。これらが、和解に向けての、両国指導者の一定の努力の過程だと認めるとしても、以下のことは言っておかなければならない。

 それは、次のことだ。2026年2月28日、米・イスラエル両軍がイランへの先制攻撃を開始したとき、米空母エーブラハム・リンカーンはすでに中東海域に派遣されていた。米国指導部は短期終結を目指していたが、戦争は長期化した。港に寄らず海上に連続で配備された期間は同年8月末には歴代最長となり、船内では食料など物資が不足し、水質も悪化、トイレ掃除も行き届かず汚れたままだとの報道が相次いだ。CNNは、隊員8人の自殺未遂事件が起きたとも報道した。こんな状況の中で、在日米軍の出撃が相次いだ。米軍は「日本と極東の平和と安全に寄与する」(日米安保条約第6条)ことを駐留目的としているが、2月28日の開戦当時すでに、横須賀を母港とするイージス艦ミリアス、ジョン・フィンはイラン南部のアラビア海に展開していた。この2隻は巡航ミサイル・トマホークを発射している。3月末から4月にかけては、佐世保、沖縄、三沢などから、それぞれ、急襲揚陸艦、水陸両用即応群、戦闘機が中東に展開している。現時点で最後に来たのが、横須賀を母港とする原子力空母ジョージ・ワシントンの中東への派遣である。

 その詳細は、“FUNECO”(Water Traffic Website、2026年8月14日投稿)の報告に委ねよう。(ごく一部を省略)――アメリカ海軍のニミッツ級空母「ジョージ・ワシントン」を旗艦とする第5空母打撃群は、2026年7月30日(木)、ベトナムのダナンに寄港した。今回の寄港は、2023年に両国間で確立された「包括的戦略的パートナーシップ」のもと、アメリカとベトナムの関係強化を図るものとされている。アメリカ海軍空母のダナン寄港は、2018年の「カール・ヴィンソン」、2020年の「セオドア・ルーズベルト」、2023年の「ロナルド・レーガン」に続く4例目となった。「ジョージ・ワシントン」空母打撃群は、ダナンでの寄港を終えた後、第7艦隊作戦海域での活動を継続している。――

 以上が、横須賀を出港した米空母の、ごく初期の航路である。60年間という歳月を挟んでの、ダナン港の位置の変化には、目が眩む思いがする。国家を基軸として考えるなら、60年前に敵対していた(戦争を通して加害と被害の側に分け隔てられていた)2国が、恩讐を越えて/かつ加害の側が賠償責任を果たして、いま良好な関係にあるのなら、それは喜ぶべきことだろう。だが、米国はベトナムに対するしかるべき賠償責任を果たしてはいない。そして、上記報告記事は、「(空母群は)ダナンでの寄港を終えた後、第7艦隊作戦海域での活動を継続している」と述べている。つまり、横須賀→ダナンを経由した空母は、中東地域のどこかの海域で軍事展開を行なっているのだ。国家/国策の枠の中で物事を考えないベトナムのひとがいるなら、そのひとは、この現実に心を痛めていることだろう。

 米国が世界中に思うがままの軍事的展開を行なっているということ。それは、次のアフガニスタンを、次のイラクを、次のベネズエラを、次のイランを……生み出すことに直結する。そこでは、第二、第三の「ネルソンさん」が永続的に生み出されることに繋がるだろう。『ネルソンさん』の映画から、私はこうして、60年前とは性格をまったく異にする現在の世界の混沌状況をいかに打開できるのかという課題を改めて受け取ったのだった。
 (文中敬称略)